音のある場所

今日もお疲れちゃん

フォト

 

 

 

6月の終わりにカメラを買いました。 

 

f:id:musicmoviedk:20191027063024j:plain

 

 

7月の最初のライブから一眼レフを使って、ライブ撮影を始めました。

 

 

 

は?むずくね?

は?

 

って感じです。

正直イライラしてます。

撮りたいのにうまく撮れない。

自分にイライラしてます。

 

いつもはライブハウスで起こってる出来事、その時のライブレポみたいに書いているけど、今回はライブカメラマンって所に焦点を当てて書いていく。

 

 

 

7月5日、歴史ある渋谷の遊び場。

渋谷clubasiaで、自分がスタッフをやってるバンドのライブがあった。

普段よりは大きな箱で、そこから観る景色はきっといつもとは違うのだろうなぁと思っていた。

バンドをより、かっこよく魅せるのは何か。

色々と常に考えていた。

やっぱり、写真なのかなってずっと思っていた。

 

ライブ写真は色んなバンドを知るきっかけの一つの鍵になっている。

SNSで一般的に写真が見れる時代。

どれもかっこよく写っていて、これを自分で表現できたら良いなとは思っていた。

ただ、バンドとして大切なのは音楽であり、音源やライブが1番にあって欲しい。

そう思った時に写真の重要性が自分の中で低かった。

 

でも、よくよく振り返ってみれば携帯の待受やSNSのヘッダー画像は写真であり、部屋に飾るポスターなどもライブという空間を切り取った写真だったりする。

眺めるだけで、音楽が聴こえてくるような、そんな写真があったりする。

 

近年はインスタグラムが日常の生活に組み込まれている人も多いだろう。

街を歩けばどこもかしこもパシャパシャ撮っている。

スマホのカメラ性能が年々進化していることもこの影響にきっと大きく繋がっている。

しかし、反対に写真が飽和する時代でもあると言える。

特別感、が無くなったような…そんな気もする。

 

もともと写真は好きだったのだけれど、近年の飽和した状態にちょっと嫌気がさした。

音楽と繋げるのなら、ライブ中にスマホ片手に撮り続けている人がいる。

大きなバンドとかでそれは御法度だけど、そうじゃないバンドは撮られ放題だ。

自分の思い出として、またそのライブが見たくて、色んな理由があると思う。

一瞬を切り取るはずのものが、ずっと撮り続けるから矛盾が生じる。

 

まず大前提として、動画と写真は違う。

動画から書いていこうかな。

ライブにおいて、動画の役割とは何だろう?

そのバンドの良さを納める。

このバンドかっこいいから見てくれ!パターンと思い出に浸るパターン。

あとは、3月のライブでPRAISEが面白いことやってた。

撮影OKにして動画をあとでバンドに送ってそれを使ってMVを作る。

あえてそういう風に持っていくやり方も出てきた。

うん、上記のような理由で撮ってる人は多いだろうな。

 

広めたい気持ちもわかる。

けど、ライブを見にきてる人で動画撮影してる人って、スマホの画面越しにライブ見てたりしない?

それは、生のライブっていうのかな…

音は確かに生音なんだけど、ステージにいる人たちを障害物なく自分の目に捉えるのが生のライブの醍醐味だと思う。

動画撮影してるけど、胸元とか自分の顔の前から外して撮ってる人もいるけど、それは拳を突き上げたりジャンプしたり体揺らしたりできない。

ライブは必ずしも“聴いてる方が体を揺らさないといけない”という決まりはないけれど、楽しかったら自然と体が動いてしまうもんだと思うんだよね。

Twitterで一度見かけた動画。

黒人の子どもたちが初めてバイオリンの音を聴くって動画だった気がする。

音が鳴るたびに子どもたちは体を揺らすんだよね。

その反応が全てなんじゃないかな。

なんにせよ、動画を撮りたい気持ちもわかる。

あとで見返すのも楽しい。

けど大御所バンドと違ってワンステージ30分あるかないかのバンドをノンストップで撮影し続けるのは悲しいよ。

一曲目のサビだけ、とか自分に制限つけても楽しめるんじゃないかな 。

目の前で好きなバンドが魅せてくれている景色を、自分の眼で焼き付けることも良いことだと思うんだ。

あとは、よく言われるのがプロのカメラマンさんが写真撮った時にスマホが写ってるとその写真がダメになるってやつ。

本当にそうでやっぱり場違い感半端ないんだよね。

むしろカメラマンがいるライブなら、もうライブ写真は全てお任せして全力でライブを楽しんでほしい。

そのライブを全力で楽しんでいる自分が写真に撮られる方が良い。

好きなバンドのライブを見てる自分を撮られるチャンスだと思う。

 

動画の場合はカットしたりできるし、尺が長ければ丸々その動画を使うことはあまりない。

けど、写真の場合は一枚一枚がその瞬間だからボツになる可能性が高い。

撮る人の腕が良くないと余計にそう思う。

俺が撮るやつほどんどボツだし。

本当に悲しい…。

 

ライブの写真やライブDVDについて深く考えたことはなかった。

でもDVDを見ると普段見れない光景、こんな景色だったんだということに気付かされる。

自分が行ったライブの日の写真がSNSで公式からアップされる。

近くで見れなかったアーティストの顔はこんなにも笑っていたのか、ということにも気付かされる。

そういうのがすごく良いなと思った。

でも、自分がバンドのライブを撮るってなった時に、自分が見た景色を切り取っておきたい。

なんだかんだ自分の目で見たものが1番。

だからこの目で見たまんまの景色を切り取る。

それがきっと良い写真になる。

そう思って撮影に臨んだのだけれど、惨敗。

最初から上手にできる人、ではないから分かってはいたことだけど悔しい。

それに、今はその景色が1番だと思っているけど、見る景色が変われば今の答えは変わっていくのかもしれない。

 

 

 

結局、今を生きている自分たちは過去にも未来にも行けない。

写真っていうのは過去に行けないけど、過去というその場を捉えることはできる。

 

 

 

ありがたいことに初めての撮影がAsiaでいつもやってる箱より大きい箱だった。

撮り方もわからないし、ライブ中にどこまで動いて良いのかもわからない。

カメラを買ってからそのライブの日まで何回もネットで撮り方の記事を読んだ。

めちゃくちゃ緊張した本番。

他にもカメラマンさんがいたからライブそっちのけでその人たちの動きを観察していた。

けれど、気づいたら見失うことが多くてちょっとライブを見ようもんならもう、そこにいたはずのカメラマンさんはいなくなってて違う場所にいる。

忍者かよって心の中で突っ込んでた。

そして、その日に出来上がった他の人たちが撮った写真と自分のを見比べて、ただただ落ち込む。

撮った写真はどれもお手本のような綺麗さで、しっかりライブ写真だった。

お手本ってバカにされがちだけど、お手本はすごいんだ。

それがしっかりしてるから応用ができるわけで、あの日送られてきた写真たちは今の自分にとってすごくプラスになった。

 

初めてだからって言い訳は通用しなくて、むしろ自分が許せない。

まずはカメラに慣れることからやってみた。

それが深夜の野良猫撮影になった。

徐々に使い慣れてきて、こういう機能があったのかとかいろいろ。

7月は大阪でもライブがあったからリベンジのチャンス。

そこではHowl of underdogsというバンドのスタッフを以前やっていたMさん、今はRAISE ONE'EYESというバンドのスタッフをやっている人が、その日のライブイベントの専属カメラマンを勤めていた。

ありがたいことに自分がスタッフをやってるバンドSTANDZの大ファンで当日を楽しみにしていてくれた。

俺が持ってたカメラを見てカメラ話に少し花を咲かせる。

前回大敗した不安が残っている俺とは真逆に、彼女はSTANDZを撮れることをものすごく楽しみにしていた。

激しく動くライブバンドを撮ることに対して、「撮りごたえあるんですよ」と言った言葉が今もすごく胸に刺さっている。

羨ましいと思ったし、撮る側になるということはこういうことなんだと身近な人に教えられた日だった。

結局、その日の写真も大敗。

動画ばかりに集中してたのもあるけど、それはまあ言い訳だ笑

Mさんの撮った写真は素晴らしかった。

 

少し前にさかのぼるけど、デッドポップフェスティバルへ遊びに行った。

PRAISEを見てる時にカメラマンさんが動いているのが見えた。

The BONEZやDragon Ashなど動員の規模が大きいバンドをいくつも撮っている人。

今現在もツアーをやってるDragonAshのライブ写真をよく拝見するけど、どれも最高だ。

前からインスタでPhoto byなどで名前を見かけることはあったがどんな人か知らなかった。

カメラを買うってなった時にその人のインスタを覗きに行った。

そしたらなんとカメラマンになったのは本当に数年前という驚き。

カメラマンなんて何年もやってる人が多いイメージだったけど、まだまだ短い時間でここまで撮ってることに恐さすら感じた。

それからというもの、ライブでその人がいるとライブそっちのけでその人の姿を追うようになった。

 The BONEZのライブ時も彼が撮っている姿をよく視界に捉えていた。

使っているカメラは何かな、ってそれを把握するくらい見てた。

撮るときは本当に自然体というか、ライブを見ている感覚に近い。

夏にPRAISEの渋谷asiaの時もいた。

奇しくもそのライブの先月に同じ場所で俺はライブカメラマンデビューをする。

物の見事に自分が惨敗したこの場所で、この人が自分と同じ場所でバンドは違うけどどう撮るのかすごく興味があった。

asiaのステージ、上手側から自分はライブを見ていた。

そしたら自分の真横にまで彼は来て、写真を撮っていた。

連写じゃなくてパシャパシャとカメラのシャッター音が聞こえるくらい。

そして移動したかと思うと、上手側のステージに腰掛けてニヤニヤしながらカメラを構えていた。

え?まじかよ、それでいいのかよ!?って衝撃だった。

ライブカメラマンは、ライブの邪魔にならないようにまるで黒子のように動かないといけないみたいな風潮がある。

それは決して間違っていなくて、むしろライブを見に来ているお客さんが第一だからとても大切なことだ。

でも、彼の撮っている姿勢から自分もライブを楽しんで良いんだということを学んだ。

そしてライブが終わった後のPRAISEの写真を見て、あぁかっこいいな…と思わされる。

同じ場所でこんなにも違うのかと、正直凹むけど、もっと良い写真が撮ることができるとわかった日だった。

経験や技術、センスはもちろんあるかもしれないけど“良い写真が絶対に撮れないってことは誰にも証明はできない。”

 

 

そして振り返ればこの人の写真展に自分は足を運んでいた。

今年2月に渋谷で開催されたBONEZのライブ写真展。

2人のフォトグラファーによるWOKEツアーのライブドキュメンタリー。

人が多くてゆっくりは見れなかったけれど、どれもかっこいい写真だった。

そう、まさにあの写真を撮っていたのは彼だった。

そしてもう1人。

そのもう1人の写真にはもっと前に出会っていた。

PTPが好きになった頃、色んな写真を探した。

Kさんのmyspaceにはたくさんの写真が置いてある。

Kさんはその中の1枚をプロフィール画像に設定している。

めちゃくちゃかっこいいなと思っていた。

そしてThe BONEZのライブに行きだした頃、ZAXさんが1人でタバコを吸っている白黒の写真を発見する。

これもまためちゃくちゃかっこよかった。

のちに知るのが、この2枚の写真を撮ったのがこの写真展で掲載していたもう1人のフォトグラファーだった。

これを知った時に全てが繋がった気がした。

当時、自分はインスタをやっていなかったから彼らの動向を知ることはなかった。

インスタを初めてPhoto byとかをよく見るようになって跡を辿ったら出会った。

本当はもうすでに写真で出会えていて個人にたどり着いた。

写真を見て、すごいなぁと思ったのはまさしく彼らがきっかけと言っても過言じゃない。

そしてなんとこの2人が同級生だというのも驚きだった。

中学の同級生が将来バンドのライブ写真を撮って再開するなんて、どこの漫画の世界ですかってくらい驚き。

 

写真を見て、今までは良い写真だな。綺麗だな。ありきたりな感想しか出てこなかった。

でも2人のおかげで写真は人が撮って初めて写真になるんだ、ということを改めて気づいた気がする。

今じゃ自撮りとかがしやすくなってはいるけど、、、笑

そうじゃなくて誰かに撮ってもらうから自分が写っている写真が生まれる。

ライブならなおさらそうだ。

ライブ中に自撮りするやつもたまーにいるけど笑

写真を見て、これは一体誰が撮ったのだろう?なんて今まで考えたこともなかったことを、考えるようになった。

この人たちのおかげでphoto byの重要性も知れた気がする。

ただ何となく添えてある文字に見えるかもしれないけど実はそうじゃないんだ、ってこと。

 

 

全てのアートに通じると思うけど、そこがアートへの入り口なんだと思う。

音楽も絵画も写真も小説も映画も、生まれたらそれはそれでしかないんだけど必ずそれを生み出した人がいる。

それを知りたい!と思った瞬間が、その世界へ足を一歩踏み入ることができたときだと思う。

 

歴史の教科書を見て、もう死んだ人達の写真がたくさん載っている。

それを撮った人が必ずいるという事実。

死んだロックアーティストにも言える。

カート・コバーンを撮った人もいる。

チェスター・ベニントンを撮った人もいる。

そして、あのKさんを撮った人がいる。

その写真は永遠に語り継がれていくんだよな。

もうこの世にいない人を感じることができる1つとして、写真が存在してる気がする。

 

 

ライブ写真を自分が撮ることになるなんて数年前は思いもしなかっただろう。

でもきっかけはそこらへんに転がっていて、ライブに行きだした頃からかなり身近になってたことが今ならわかる。

BONEZの写真展に行く前に、去年また同じく渋谷で開催されたライブ写真展があった。

FIVE FINDERS PHOTO FESTIVALという写真展。

今思えばあの写真展は、今のロックバンドたちを撮っている最高峰の写真展だったんだなとわかる。

普段なら写真展なんて行かないけれど、その時に渋谷で働いていてお昼の休憩時間にふらっと遊びに行ったんだ。

それは自分が昔いた場所じゃ絶対にありえないことで、そこから飛び出して渋谷に来たから行けたことでもある。

何がどう繋がるか、なんてわからないけれど自分の周りに色んな点を打っておけばどこかで何かと繋がるかもしれない。

 

さてさて、自分の体験を書き出してみた。

そしてこれからどうするか。

スタッフになった頃はスマホで写真を撮っていた。

でもそれは客席からお客さんが撮っているのと変わらないよなぁとずっと思っていた。

もちろん、腕に技術のある人が撮れば、今のiPhoneなんかはすごく画質がいいから一眼レフ顔負けの写真も撮れるだろう。

でも、ライブ写真を撮るとはそういうことじゃないと思う。

「写殺」という言葉を生み出した人がいる。

 

やべえ、こんなことカメラ持って半年も経ってない自分が書いていいかわからないけど…絶対に若造が。とか思われそうだけど、頑張って思ったことを書く。

 

superbeaverを撮っているカメラマンさんが掲げている言葉。https://natalie.mu/music/column/310926

あのナタリーで記事になっているのでぜひ。

この記事がすごく好きでたまに読み返す。

 

俺はこの人じゃないから「写殺」という言葉を100%理解できるわけじゃない。

でもこの言葉を借りていいのなら自分の中の「写殺」という言葉の意味を言える。

最初のライブを撮った時は無我夢中だった。

でもPRAISEの時のあの人の姿を見て、肩に力が入ってたのが次のライブから消えた。

ライブが始まり少しだけ慣れたカメラを構える。

その時にファインダー越しにSTANDZを見た。

激しく動く彼らを連写しないで1枚、撮る。

その瞬間なんとも言えない気持ちになった。

捉えた!っていうのかな。

収めた!っていうのかな。

うまくあの時の気持ちを言葉に表すことはできないのだけれど、それを唯一借りていいのなら「写殺」という言葉のみだった。

あのときの感覚を覚えた瞬間にきっとライブを撮るという面白さに気づけたんだと思う。

そして、人の言葉を借りて表現することしかできないのが今の自分の現状。

もっと深く深く染まっていけばきっと自分の言葉で表現できるようになると思っている。

そのときは間違いなく、自分でも納得のいく写真が撮れるだろう。

 

実際、ライブの時の写真の枚数は普通の人より断然少ない。

あくまで写真なんだ。

自分はカメラを持っているだけの人。

フォトグラファーではない。

STANDZの良さはカメラで撮る写真だけじゃない。

ロックバンドだから音楽を聴いてほしい。

そういう思いで動画優先なところはある。

でも、動画のみじゃなくて写真も撮る。

その両方をやったっていいじゃねえかという気持ちでやっている。

 

今活躍しているライブカメラマンの人たちはそれでお金をもらっている。

自分も写真を撮る技術を上げるには、経験を積んだりするために色んなバンドを撮るべきかもしれない。

でも別に本気でこれからフォトグラファーになりたいわけじゃない。

そこが自分と彼らの違うところ。

あくまで自分はSTANDZというバンドのスタッフで彼らを知ってもらうために活動している。

ライブカメラマンになりたい人とは写真に対する熱量の差が大きいかもしれないけど、“STANDZへの熱量は圧倒的に自分の方が上だ”と言い切れる自信がある。

もう8年も続いているバンドだから彼らのライブを過去に撮ってきた人はたくさんいるだろう。

それでも、その人たちに負けないくらい良い写真をこれから撮っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Thanks.

DAIKI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めて一眼レフでライブを撮った日。

ライブ終わりに箱から出て、アー写を撮った。

その日もすごく雨が降っていた。

f:id:musicmoviedk:20191027062659j:plain