音のある場所

今日もお疲れちゃん

BLARE FEST2020 2日目

 

 

f:id:musicmoviedk:20200415050352j:plain



 

2日目の朝。

目覚ましもかけずに寝て午前8時に無事起床。

否、PTPの物販を買おうって友達と約束して7時に会場着く予定だったが完全に出遅れ。

すまねぇ…と思いながらTwitter見たらすでに物販待機列が凄いことになっていた。

友達からのlineをごめんと返す。

そしてもう一件、別の人からlineが来ていた。

寝ぼけていたのが一瞬で覚める。

「ブレアフェスいんの」

昔少しだけ付き合ってた人からだった。

最悪の目覚めでなんで今日に限って、と思った。

良い思い出もあるけどこの人に出会わなければ人生変わってたかもしれない。

それが良い方向か悪い方向になるかはわからないけれど笑

とりあえずline返してシャワー浴びる。

朝食はホテルの無料サービスがあったけれど、食堂が混み込みだったから近くのコンビニへ。

のそのそと着替える、この日はワンオクとPTPの対バンのときに売っていたバンT、

そして下はnineのディッキーズ、STANDZのバンダナを腰から下げる。

チェックアウトをしたのは午前10時で2日目のトッパーであるサバプロにはもう間に合わない。

そして体には昨日の疲労と、余韻が残っていて頭もぼーっとしていた。

さらに死ぬほど見たかったPTPが見れる。

そう思うだけでなんだか今日は身に力が入らない気がした。

 

まっすぐ会場に向かおうか迷ったけれど、名古屋に来て行きたいところがあった。

名古屋のタワーレコード

ちょうど先日、名古屋でミクスチャーロックをやっているTATAMIBOYというバンドがCDを出した。

去年の夏にArea81というバンドに同行して彼らの自主イベントに参加した。

STANDZも毎年出ているイベントで去年はArea81にサポートボーカルとしてKazuyaさんだけが参加。

長年の盟友みたいな感じだと思う。

全国にそういうバンドがいるから遠征も楽しい。

そんな彼らのバンドが、あのタワーレコードでCDを販売。

名古屋の店舗限定だけれど、それもレぺゼンという感じでありだと思う。

タワーレコードに入ると大きくポップ展開されていて、大々的に紹介されていた。

CDを買うといえばやっぱりタワーレコード

名古屋にまで来てタワレコでCDを買うのは本当の音楽好きという感じがして少しニヤケた。

かっこいいバンドなのでぜひ。

 

駅に向かって昨日と同じあおなみ線に乗る。

トッパーの時間はとっくに過ぎていて電車の中は昨日より空いていた。

Twitterを眺めてると相も変わらず物販の列が凄いのと、高額転売がすでに出されていて烈火のごとくみんな転売屋をたたく様子がネットの中では繰り広げられていた。

せっかくフェスに来てるのにSNSにかじりついてまで嫌なものをあえて見つけて、ごく少数を叩きに叩いてる様はちょっと気味が悪かった。

とはいえ、自分もSNS見てる時点で同じ穴のムジナなのかしれない笑

一番悪いのはもちろん転売している人たちなんだろうけど。

燃え上がってる様子を見る限り、転売されている商品がすごく価値のあるようなものに見えてくる。

需要があるということの証明にもなってしまって、逆に転売屋にとっては叩かれようが捕まらなければ売る価値あり、と判断されるだろう。

誰も触れないで見もしない買いもしない無視が一番撲滅に効果的なのでは?と考えていたら会場に着いた。

これ以上ないくらいのワクワク感と、この朝からの出来事でモヤモヤもしていた。

 

朝から連絡を取り合っていた友達と合流。

フェスの中ではトップクラスであろうフードエリアのテーブルと椅子の数。

座れないなんてことはなかったんじゃないかな。

たくさんある中から友達がいるテーブルを見つけると、そこには一年ぶりくらいに会う人もいた。

昨日までとは変わり、この2日目はたくさんの人と出会うことになる。

一日目の感想を話したり飲んだりとライブは見ずにだべる。

もったいないかもしれないけれど、こういう遊び方ができるのもフェスの魅力の一つ。

なにより顔なじみである人たちはあのときみんな同じ気持ちだったと思う。

PTPがこのあと見れるというソワソワ感。

ライブをやっているバンドにとっては苦い気持ちかもしれない。

目の前のライブを見てほしいのに、のちに控えるバンドに気を取られてどこか上の空。

みんながみんなそうはならないと思うけど、あの日の自分はもう期待感だけでおなかいっぱいだった。

ただただのんびりと会場の人を眺めていた。

朝から並んで買ったPTPの物販を着ている人たち、昔からのグッズを着ている人たち。

どこにそんなにいたの?ってくらいみんなPTPだった。

 

とは言っても、フードエリアにいるとサンダーステージでやっているライブが丸聞こえ。

NOISEMAKERのライブが始まり、ちょっと見たくなって覗きに行った。

入口まで人だかりができていて、NOISEMAKERも圧巻のライブをする。

NAMEではみんな飛んで跳ねて楽しそうだった。

あんなに遠くからNOISEMAKERを見たのは初めてかもしれない。

戻ってやっぱりNOISEMAKERかっこいいな~とか思いながらそろそろ移動開始。

友達とウォーターステージの方へ移動。

外に出て向かうと喫煙所のとこで見知った顔に出会う。

前に書いたcoldrainの新木場ワンマンのとき、帰りにビラを配っていたら声をかけられた。

新しいバンドを仕込み中だと言っていた人。

ここで出会うのも偶然なのだが、実は数日前STANDZと対バンした。

こんな偶然あるのか~とあの日は心底驚いた。

そのバンドのギターがかくかくしかじかで、まあそのうちみんな見れるでしょう笑

ぜひまたライブを見たい。

喫煙所前で出会ったのはその人だけじゃなく、あの日対バンしたバンドメンバーもいた。

こないだは~みたいなやりとりを一人ずつして、今日はめちゃくちゃ楽しみですねと盛り上がる。

立ち話に花を少し咲かせながらそのままみんなで会場へと向かって、中で別れた。

 

ウォーターステージではMONOEYESがライブをしていた。

後日ブレアフェスでの感想をいろんなところで目にしたけど、あの日のMONOEYESめちゃくちゃかっこよかったらしいね。

しっかり見とけばよかった~とちょっと後悔しつつも同じ時間で、自分は人と会って話をしていたのだからそれはそれで良し。

反対側のファイアーステージではCrown The Empireの出番。

1日目に引き続き海外のバンドを見れることにテンションがあがる。

下手側の前の方に行き、がら空きになっているスペースで観た。

大きいステージがぴったしという感じでめちゃくちゃかっこよかった。

3月にはノットフェスやダウンロードといった海外勢が来るイベントがてんこ盛り。

※今書いてる3/12時点で軒並みほとんどの来日公演が延期・中止。コロナを絶対に許さない。

 

Crown The Empireを見た後、またうろうろして徘徊。

SiMの出番になり、一曲目から「kiLLING ME」で大盛り上がり。

DPFの主催をやっていたりとフェスの主催バンドとしてはcoldrainより先輩となる。

MCの煽り方も会場の沸かし方も熟知しているようだった。

スタートの2曲が「KiLLING ME」と「Amy」だったのは個人的にめちゃくちゃ嬉しかった。

SiMに出会ったころの曲で、学校へ行くときの満員電車の中で死ぬほど聴いてた。

SiMにとってもこの2曲が世に知らしめるきっかけとなっていると思う。

PTPという先輩バンドがのちに控えていることもあって、自分たちの原点を見せつけているかのように感じた。

 

そんなSiMを見ながら、昨晩一緒に飲んだ人たちと会場内で出会う。

ちょっと話しながらまた離れて、今度は今日来た時の人たちと話す。

橋渡し的な感じでお互いを連れて行って初めましてのあいさつをしてるお知り合いたち。

そういえば北海道のときもこんなことあったなぁと思いながら1人でSiMを見届けた。

SNSで繋がることはあっても、いざ現場で初めましてってちょっと気まずい。

自分が中間に立って仲介役になる不思議さを感じた。

 

どんどん迫ってくるPTPの出番。

みんな10-FEETを見ていたけど、じっとしていられなくてタバコ吸ったり会場内をうろうろしたりと1人で過ごす。

 

トイレに入ったらPTPのシャツを着てバンダナを頭に巻いてる人がいた。

手洗い場の鏡の前でバンダナを整えていてる。

見知らぬその人の姿を見て、きっとみんな同じ気持ちなんだなって思えた。

 

うろうろしたままサンダーステージにたどり着く。

lynchがライブをしていた。

今までライブを見たことなかったから今回見てみたかったバンドの一つ。

PTPのgeneで葉月さんも参加している。

所縁があるのなら見届けとくべきだと思っていた。

ライブでは初めて聴く曲ばかりだったけれど、素直にかっこいいなと思った。

バンギャたちが大勢いて、一心不乱に頭を振っている。

その姿がいつも見ているライブとは大違いで、圧倒。

MCでもライブと言えば頭を振ること、とお客さんをあおり、一斉に動き出す。

何が凄かったかって、頭を振るタイミングのときにお客さんが隣の人の位置を把握してぶつからないようにすぐ間隔を空けたこと。

その動きがまるで軍隊並みの動きだった笑

 

いいもん見たな~とか思いながら再び大きいステージに戻る。

10-FEETの番が終わり、ONE OK ROCKの待機で人がいっぱいになった。

自分もワンオクを見届けようと前の方に進んでいく。

ずっと会場中に音が鳴っているんだけど、どこか遠くでなっているような。

自分の心臓の脈打つ音だけが異様に聞こえていた。

この2日間でたくさんの音楽を生で聴いたし、見てきた。

ものすごい速いスピードで今を生きているような、周りの空間すらもすぐさま通り過ぎていく感じ。

急に目頭が熱くなる。

すると耳に知っている音楽が流れてきた。

Avril Lavineの音楽だった。

まさかここにきて会場のBGMで自分が中学のときに死ぬほど聴いていた音楽が流れてくるなんて、奇跡だと思った。

それこそ洋楽を聴くようになった原点、Linkin ParkとAvrilは自分にとって原点なのだ。

高校のころの日本のロックバンドにハマったきっかけがワンオク、SiM、coldrain、そして夢を失ってフリーターになってどうすればいいかわからなくなったときに出会ったPTP。

今までの人生で触れてきた音楽のすべてがこのフェスに詰まっているようなそんな感じだった。

 

会場のBGMがONE OK ROCKのSEに変わる。

大歓声とともに現れる4人。

最新のアルバムから一曲目、「Eye of the Storm」

あの頃聴いていた音楽から進化をし続けた証を一発目で見せられた。

 続く「Taking off」で涙腺崩壊。

初めて聴いたときは衝撃的で、一日中毎日この曲を聴いていた。

和訳した歌詞と自分を照らし合わせて、感情移入していた。

今までワンオクのライブは遠くからしか見たことなくて、前の方で見れたことにも感極まっていた。

「We are」3曲目で始まったこの曲はもうただただ歌が上手いのと、みんなの声で大合唱になるところはハイライトだったと思う。

色んな感情が高ぶってきたのに対して、体がしんどくなってしまった。

前の方から後方に下がり、モニターでライブを楽しむ。

改めてONE OK ROCKというバンドの大きさを感じた瞬間だった。

最後まで見届けて思ったのが、セットリストがほとんど新しいものばかり。

「The Beginning」よりも前の曲たちはやらなかった。

ある意味、SiMと真逆。

このあと出てくるPTPのことについてもあまり触れずにいた。

それは彼らなりの意思表示だと思えた。

たくさんの曲を生み出してきたバンドが、一本のライブで演奏する曲は限られている。

その限られた時間の中で選ぶセットリストというのは、見ている側が思っている以上にバンドにとっては大切なモノなのかもしれない。

あの日、ONE OK ROCKのライブから感じられたのは常に前を向いて進んでいくよ、進んでいるよってことだと個人的に思った。

最後にやった「Wasted Nights」はもうCD音源並みの上手さ。

これからも見せてくれるだろう景色を楽しみにしている。

 

このポートメッセという場所で本来ワンオク自身のツアーでステージに立つはずだった。

ボーカルTakaさんの体調不良により、ライブは延期に。

そのことについてもMCで触れていた。

またこの場所に帰ってくると。

ワンオクだけでこの会場を埋めることができるというのが改めて凄さを感じた。

 

ワンオクが終わったあと、彼らの完璧ともいえるステージに余韻を感じていると次がPTPの時間がやってくる。

震えた。

前の方に詰めて行き、 待機する。

いろんな人がいたと思う。

いつもいる友達、地方から来ててライブの時に出会う友達、家族、恋人、それぞれが誰かとライブを見ようとしている。

あの日、たくさんの人と会場で出会ったけどPTPのライブは1人で見るって自分の中で決めていた。

ファイアーステージにPay money To my Painと描かれた幕が上がる。

何度も何度も見たその幕。

でも一度だって生で見たことはないその幕。

機械を通して見ることしかできなかったあの幕が今、自分の目を通して見れている。

その事実だけに興奮して涙が目に溜まる。

ステージにはいろんな人が準備をしていて、それをずっと眺めているあの時間は今までに味わったことがない緊張感があった。

ずっと見ているとお洒落なキャンドルが置かれてそれが光っていた。

間違いなく今夜、何かが起きる、いやもう起こり始めている。

 

どんなライブをするのか。

インストとしてボーカルなしで演奏するのか。

ゲストボーカルを招いてライブをするのか。

Kさんの声を流してそれに合わせてライブをするのか。

ただ一つ、確実にわかっていたのはボーカルの『K』さんという人はこの世にもういないということ。

今回のブレアフェスにPTPが出るとなって、複雑な気持ちを抱いていた人たちもいた。

みんながみんな喜んでいるわけじゃない、

それでも大きな盛り上がりを開催前から見せたのは間違いない事実。

KさんじゃなきゃPTPのフロントマンは務まらないと誰もが感じている。

Kさんがいなくなって一年後の2013年にやったZeppのライブを生で見た人たちは、それを目の当たりにしたと思う。

ならなぜこんなにも盛り上がりを見せたのか。

単純に生のPTPを見たことない人の方が多くなって、もう見れないバンドのはずなのに今も世の中にファンが増え続けている。

すごいことだよなぁ。

 

周りの声が聞こえる。

会場は今か今かとPTPが出てくるのを待つ。

どんなライブするのかな、やばい、楽しみ、いろんな声が周りから聞こえてくる。

すると大きな音ともに、目の前にある大きなスクリーンが光った。

出てくるアーティストを紹介する映像が流れる。

Pay money To my Painアー写が映し出された。

一斉に歓声が上がり、拍手が起こる。

スクリーンは一度暗転すると巻き起こるPTPを呼ぶ声。

SEで「Ligarse」が流れて再びスクリーンが光る。

マリア象のロゴが大きく映し出されて昔のライブ映像がゆっくり流れ、Kさんの写真やMVのワンシーンと次々に入れ替わっていく。

スクリーンがステージを映し出すと、メンバーがステージに出てきた。

PABLOさんを筆頭にスクリーンの中でメンバーが1人ずつ紹介される。

ステージと映像を交互に見る。

凄かったね。

メンバーそれぞれが今は違うバンドをやっている。

だから3人ともライブをしているのは見たことあった。

それなのにあの日見た3人は間違いなくPay money To my Painだった。

PABLOさんがステージに立った時、ギターをスタッフから受け取って、正面に向いた時、ニヤッと笑った気がしたんだよね。

初めて本物のPABLOさんを見た気がした、というより初めてPay money To my Painのギタリストをステージで見たって感じかな。

あの表情を見た時にゾッとしたくらいの畏怖。

T$UYO$SHIさんもThe BONEZで見た時とは全く違う雰囲気が漂っていて、この人も紛れなくPay money To my Painなんだなって。

The BONEZとして一緒にやってるZAXさんも同じで見せ方というかバンドが変わるだけでこんなに違うのかと見てわかる。

そして最後にボーカル、Kさんがスクリーン上で紹介されて再び大きく歓声が上がる。

楽器隊が揃い、生の音が鳴り始める。

3人を映し出すように後方から白いライトが当たって「Ligarse」を肌で耳で目で感じた。

Pay money To my Painのライブが、始まった。

 

 

こんな風に今は思い出してエモーショナルに書いてるけれど、現実はあの最初だけで涙と鼻水で顔がグシャグシャだった笑

思い出すだけでゾクゾクするね。

戻りたい。

 

「Ligarse」が流れている間、スクリーンにはgeneのジャケ写が映っていたからすぐに理解した。

BLARE FEST SPECIAL LIVEと掲げて白い文字で『gene』と映し出される。

ステージ袖からcoldrainからMasatoさんとlynchから葉月さんが登場。

さっきlynchを生で見といて良かった〜と思った。

2人のボーカルが参加してCDに収録されている「Resurrection」を一発目に披露。

何度も思うけど、geneの楽曲がライブで楽しめる日が来るとは夢にも思っていなかった。

一曲目から激しい人もいたけど、大体の人は見守っているに近い感じだったと思う。

この目に焼き付けようと必死。

憧れてたバンドが活動の休止を余儀なくされて、そのバンドを自分の手でライブという場所に引っ張ってきて同じステージで歌う、そんなすげえなことが今目の前で起っている。

あの瞬間、Masatoさんにしか味わえないものがあったんだろうな。

 

2人が捌けて何度も聴いたあのイントロのリフが流れる。

これを聴くのどれだけ心待ちにしたか。

うおおお!って周りと一緒に声をあげる。

SiMからMAHさんが登場。

YouTubeに上がっているモンスターロックでのカバーしたライブを思い出す。

そのまま何度見たかわからない憧れたアレが自然と発生。

人がいっぱいで見えなかったはずの地面がすうーっと姿を現して人の壁が出来上がる。

『ウォール・オブ・デス』そう呼ばれるライブにおける激しい行為。

PTPのMVでやっていて憧れたあの景色。

MAHさんの歌い出しと共に向かいの人の壁に向かって走り出した。

「Weight of My Pride」

自分でも泣いているのか、笑っているのか、よくわからない感情でWODに突っ込んでモッシュやダイブしてる人を前に送る。

Kさんに届くように拳を高く突き上げ、歌う。

とにかく、とにかくみんな楽しそうだった。

俺もめちゃくちゃ楽しかった。

夢が叶う瞬間というのは、あんな感じなんだね。

 

そのままドラムの音から「Respect for the dead man」が始まる。

Crossfaithから2人、ROTTENGRAFFTYからも2人。

アルバムgeneの中でも激しいこの曲でサークルピットができて暴れる暴れる。

初めてサークルに参加した。

アレの何が楽しいんだよってずっと思っていたんだけどなんか走りたくなった。

ステージをずっと見ていたいけど、そんなのお構いなしにPTPの音楽が生で鳴っている空間にいてライブを楽しめる。

こんなに幸せなことはない、って思いながらハーコー。

荒れ狂っていたと思う 。

この一回しかないんだ!って思ったら、じっとなんかしていられなかった。

 

怒涛のライブは進んで、MCの時間。

メンバーが1人ずつ話した。

ZAXさんは繋がりに感謝と、T$UYO$HIさんは大切な人の手は離さないようにと、PABLOさんは今日ライブができたことの奇跡を。

 

ほぼほぼ意識が飛びかけていた。

まさにユメウツツ状態。

自分自身が録画機能のついてるカメラだったらいいのに、って思いながらあとでこのMCを少しずつ忘れてしまうのだろうな、と思ったら寂しくなった。

現に、書き出している今、ほとんど覚えちゃいない。

悔しいなぁ。

そのためにライブ終わったらすぐに書き出すのがベストなんだけどね。

 

綺麗なギターだけのイントロが流れる。

何回聴いただろう。

何回この光景を夢に見ただろう。

ステージの袖からサバプロのYoshさんとノイズのAGさんが出てくる。

「Pictures」

サバプロを知ったのもTwitterでYoshさんがPTPを弾き語りしていた動画を見たから。

ノイズもYouTubeに上がっている昔のライブ映像にKさんが映っているというので知った。

2バンドともPTPが引き合わせてくれたと言っても過言じゃない。

最高にかっこいい2人のボーカルがPicturesを歌ってくれた。

思い思いにみんな聴いていただろう。

 

Picturesの中盤、みんなが思い思いに体を音楽に乗せて動かしていた。同じように自分もライブを楽しんでいたら後ろから誰かに体を引っ張られた。

今朝ラインが来ていた人からだった。

絶望だった。

 

力強くTシャツを引っ張られた先にいたのは、満面の笑顔を浮かべたイニシャルが「K」の元・恋人。

それに対して、俺の顔は石みたいに固まっていたと思う。

自分の周りの音がすべて消えて何も聞こえなくなって、時間が数秒と止まり、世界が停止したと思った。

向こうは何か話しかけてきたみたいだったが、止まっていた時間が動き出したみたいでPTPの爆音でその声はかき消された。

声にならない返事をして俺はすぐステージのほうに向きなおった。

 

一番楽しみにしていた日に、もう二度と来ないであろう日に、一番会いたくない人と会ってしまう。そんな自分の悪運の強さにただただ茫然とするしかなかった。

Picturesラストのシンガロングはみんな拳を突き上げて叫んでいたが、あの会場で一番弱々しく拳を突き上げて声にならないシンガロングをしていたのはきっと自分だけだっただろう。

とにかく、自分のすぐ背後に過去の人がいるという現実に落ち着かなかった。

 

そして、きたる「Voice」

T$YO$HIさんからスマホの光をかかげて欲しい、と 言われ会場の全員が手に持っているスマホを空へかかげ、ライトアップする。

Takaが出てきて、歌う。

これをどうしても生で聴きたかった。

夢を見ているようだった、むしろ夢が現実になった瞬間だった。

いろんな思いがあふれ出てきて、今だって背後に過去の人がいる。

全てに押しつぶされそうで自分は手を降ろした。

そして後ろを振り返って、会場の一番後ろまで下がっていく。

 

すると不思議なことに、前を見ているときには気づかなかった景色がそこにはあった。

その場にいたときは気付かなかったけど、みんなと真逆を向いて歩くとそれはステージにいる人たちと同じ方向だということに気づく。

すごくきれいな光の道みたいだった。

 

明るいハズなのにどこかくらい、これがあの人が見ていた景色なのかな?
「光の中にまっすぐ歩いて行って、絶対に」

そんな声が聞こえた気がした。

 

そして、周りには誰もいなくなった最後尾の場所で、広々としたステージを眺める。

後ろから見たら、こんな景色だったのか。

すごくすごくきれいで、そしてPay money to my Painというバンドのライブの空気をこの目で、耳で、肌で感じることができた。

ただ1つ、欠けているものはあることすらも感じた。それが悲しくて悲しくてたまらない。

そんな思いを代弁してくれるかのように、Takaが歌うVoiceは空いた心の穴に落ちていく。ただただ涙が止まらなかった。

 

ステージからTakaが去っていくと、モニターにはRainのあの場面が。

中越しでも会場の全員が泣いているのが分かる。

汗なのか、涙なのか、体から雨が降っているような不思議な感覚。

体が冷えて少し寒い。

目を閉じると本当に目の前にKさんがいるんじゃないかって。

でも、目を開けると、センターマイクだけが立っていてそこには誰もいないんだ。

 

きっと、2013年のZeppを見た人はこんな気持ちだったんだ。あの演出で心に区切りを付けれた人もいると思う。

今回のブレアフェスでPTPが発表されても行かないという決断した人たちはきっと、もうわかっているからなんだろうなと今さらながらに思う。

 

最後の曲は「This Life」だった。

大きなモニターにはAIR JAM2011の映像。

みんなが大好きなライブの1つであろう映像を使ってのライブだった。

バンド演奏の生音は聴こえるのに、Kさんの声だけはもう何度も聴いたまったく同じ歌声。それが予定調和の世界で寂しくもあった。

それでも映像の中に映っているKさんの姿はやっぱり相も変わらずとても楽しそうだった。

当時は二日酔いで体調が最悪の状態の参加だったらしいけど笑

 

「これで一歩でも近づけたでしょうか?」

近づいたもなにも、もう痕跡を追えないとこまで来ちゃったよ。

Kさんがいた場所、話していた人、一緒にバンドをやっていた人たち。この数年でたくさん追えた。

生きる理由もなかったけど、もう会えない人がどんな人だったのか知りたくて何も考えずに飛び込んだ世界。

もうここからは後を追う必要もないし、自分の道を生きなきゃいけないんだよね。

 

全てが終わった。

 

1つ悔やむのは、1人の生きているボーカリストが出れなかった。正しくは出なかったのかもしれない。

「illumination」が聴きたかった。

バンド仲間として、ボーカリストとして1番の親友だったろうはずの人がステージには出てこなかった。

もっとも悔しいのは誰よりもきっと本人自身だろう。

「gene」というアルバムで唯一ライブに出なかったのは、JesseさんとKさんだ。

でも、本来だったらKさん1人だけ出られない。それが今回は事件があったからだけどある意味、独りぼっちにはならなかったんじゃないかな。

ステージにたくさん置いてあったキャンドルたちはそういう意味合いを込めての「illumination」だったのかな…

 

ライブが終わり、放心状態のままクロークに向かう。

同じように放心状態になって荷物をゴソゴソやっている友達を発見。

合流して、ため息ばかりつきながらフードコートで力尽きる。

もう一人合流。

ステージではcoldrainがトリを務めている時間になるけど、体が動かない。

ただ会場のほうから一向に音が聞こえなくて、始まっている様子もない。

自分たちが放心状態でとりあえずなんか食べるか~とか言ってる間に起きた出来事をのちのち知った。その現場をちょっと見たかったなと少し後悔している笑

 

十分に休んで、coldrainも見とかないとねの精神で重い腰をあげて再びステージのある会場の方へ。

もう人がいっぱいで後ろのほうまでしっかりぎゅうぎゅうだった。

人混みをかき分けて、帰りすぐ出られるように出口付近の方へ。

1日目も迫力は凄かったが、2日目のcoldrainは激熱だった。

はしゃぐ体力も残ってないからただただ全身に爆音を浴びるのみ。

 

そんな中、ちょっとしか見えないステージを眺めていると目の前にふらっと2人組が来た。

背の高い男性は「ここらじゃあんま見えへんな~」と関西弁で喋っているのがかろうじて聞こえる。

Pay money To my Painのドラマー、ZAXさんだった。

思わず横にいた友達と顔を見合わせる。

何も考えずに後ろ姿に向かって軽くお辞儀をしながら「お疲れ様でした」と静かに声が出てしまった。

すると、爆音のライブ中なのに自分の声に反応してZAXさんが振り返った。

キョトンとした顔で俺と目が合う。

まさか聞こえると思っていなかった俺も少し慌てちゃって、ライブ最高でした。ありがとうございますともう一回お辞儀した。

最高の笑顔を見せながら「ありがとう」と向こうも言ってくれた。

 

まさかだったね。

ライブ後にメンバー本人に感謝を伝えられるって、あんな2万人規模の会場でしかもあの時間にばったり遭遇するなんて。

ブレアフェスはリセールの狭き門からチケットを取ることから、STANDZのライブでPABLOさんとJINさんの新バンドと対バンしたり、geneのライブを見ることができ、最後の最後まで奇跡みたいな日々の連続だった。

 

 

あの日から、2020年は思い出が無くすっぽり抜けてしまっている。

2021年ももう半年経った。空白の年にはしたくない。

これを書き上げることが今必要だったのかどうかはわからないけど、あの日の自分が確かに存在したんだということをここに文字にして残しておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Hello , Chester

 


2017年7月20日にLikin Parkのボーカル、チェスターが亡くなった。

家で首を吊って自殺した。

もう3年前の出来事になるんだね。

そっちでは元気にしていますか?

 

f:id:musicmoviedk:20200720053309j:plain

Amends

 

先日、Grey DazeというバンドのCDアルバムを買った。

チェスターがLinkin Parkで歌う前のバンド。

そんなバンドからアルバムがリリースされた『Amends』

当時のメンバーが集まって、本来だったら2017年に再結成からの活動が始まるとこだった。

今これを聴きながら書いている。

買ってから数日経つけど、やっと初めて再生ボタンを押した。

一曲目のSicknessからこのバンドの世界観を感じられる。

 


Grey Daze - Sickness (Official Music Video)

 

チェスター自身の過去を歌ったリリック。

とても心が痛くなるのがMVからも伝わる。

Grey Dazeというバンドがどんなものなのか全く知らずに聴いて、GUNDOGを初めて聴いたときと似た感情が生まれた。

Linkin Parkとは違ったチェスターの歌が聴ける。

当たり前のことかも知れないけれど、バンドが変わるだけでこんなにも違うものなのかとびっくりする。

このバンドがチェスターにとって初期のバンド、というのがアルバムを通して聴いて納得できた。

 

アルバムに収録されているThe SyndromeとB12が個人的にはものすごく引き込まれる曲になっている。

自分の精神があまり良くないときに聴いたら、果たしてどっちに転ぶのか。

生きるか、死ぬかの選択を迫られているような。

過ぎ去ってしまったことに、もし、を言っても仕方がないけれど、チェスターが生きたままこのバンドが活動を開始したらどんな風になっていたのか。

チェスターが亡くなったあとも、このアルバムを作るのに全力を注いだ人たちに感謝したい。 

 

もう、SNSや前に書いていたブログでも散々書き殴ったけど、ここにもまた書きたい。

昔のこと。

 

中学2年生のときにLinkin Parkに出会う。

映画が好きでトランスフォーマーの主題歌で知った。

1作目ではなく、2作目。

主題歌の『New Divide』

これがもうかっこよくてカッコ良くて。

ニコニコ動画で見たMVが衝撃。

今では違和感も何もないけれど、あの声とチェスターの容姿がイメージと全然違った。

なんて綺麗な声が出せるんだ〜すげえ!

歌詞の意味も英語で全くわからなかったけど笑

でも、ちょうど英語の授業で洋楽を聴かされて、この曲を和訳してきてください。という課題があった。

それからかなり洋楽にハマった。

授業でAvril Lavineを知ったのもそう。

ディズニーのハイスクールミュージカルとかもめちゃくちゃ流行ってた。

だから色んな曲を和訳して楽しんでた覚えがある。

New Divideもその一つ。

いわば、洋楽を聴くルーツになったと言っても過言じゃない。

ipodで聴いていたのが懐かしい。

 

そんな自分が高校生になって、日本のロックにハマった。

ONE OK ROCKに出会い、SiM、coldrain、UVERworldRADWIMPSBUMP OF CHICKEN 上げ出したらキリがないけど確実にバンドというのにハマっていった。

今も活躍しているバンドたちで嬉しいかぎり。

そして、高校卒業した後にフリーターでバイト生活。

働き始めたお店の店長がめちゃくちゃバンドが好きな人だった。

その人にDragon AshやPay money To Pain、The BONEZ、Ken yokoyama、WANIMA、海外バンドのSimple PlanGood CharlotteOasisNirvana、もちろんLinkin Parkも。

まだサブスク時代ではなかったから、CDをたくさん貸してもらった。

バイト終わりに一緒に街のラーメンを制覇するように食べ歩き、家に行ってはビールとウイスキーを飲みながらバンドのライブDVDを見て、音楽をかけて寝る。

朝になったらCDを借りて自分の家に帰る。

バンドの新譜が出たら、バイトの休憩中に店長と2人でイオンにあるタワレコでCDを買って帰る。

それをまたその日に家に遊びに行き新譜を聴く。

YouTubeが発達してきて自分でも新しいバンドを探すようになり、近所のブックオフに行っては自分が生まれた時代に発売されたCDを買ったりして集めまくった。

Linkin ParkのCDもこのときに集めた。

中学生ぶりに新しい曲たちに出会ったときはすごく嬉しかった。

今でもあの生活はすごく楽しかったと思う。

でもそれまでは大きなバンドのライブに行ったことがなかったから、音楽を聴くだけで心が止まっていた。

 

そんな生活に将来の不安や、もどかしさを感じていた。

そんな中、成人式後の同窓会があった日に、当時の担任から手紙を渡される。

「みんなのは家に届いたんだけど、君のだけ住所がわからなくて学校に返ってきちゃっていたのよ。」

無理もない、卒業してから2回も引越しをしたし、苗字だって変わった。

そもそも手紙の存在すら忘れていた。

それは中学生のときに書いた「20歳になった自分宛ての手紙」だった。

 

帰りの駅のホームでそれを読んで、大号泣。

外であんなに泣いたのはあの時が1番ひどかったかも知れない。

お酒もめっちゃ飲んでいたし笑

瓶ビールをそのままラッパ飲みしていた。

今考えると酷すぎるな、完全にお酒覚えたてのイキリ。

ビールはちゃんとグラスやジョッキに注がれてこそ美味い。

 

将来なりたい職業があって、見事その夢は潰えてしまったのだけれど。

大学にも通えなかった時点で高校卒業してからの自分は絶望との戦い。

正直何をして生きていけば良いのか全くわからなかった。

だからそんなときに働いたお店で出会った店長と、その音楽たちにとても救われた。

 

中学生の自分が考えるようなことだから。

きっと、将来の夢に向かって頑張っていますか?とかそんなようなものだろう。って思っていた。

2枚あったその手紙に書かれていたのは、1枚にひとつの文と、1枚に大きな1文字。

『やりたいことをやれ』

『今』

びっくりした。

中学生の過去の自分に20歳の大人になった自分が励まされた。

そして見抜かれていた。

 

じゃあ、今やりたいことってなんだろう?

バンドのライブに行ってみたい!だった。

PTPにどハマりして、手に入れた『Remember the name』

の初回限定盤を見て、KさんというボーカルのMCを聞いて、死ぬほどPTPのライブを見れなかったことに後悔した。

そんなときにThe  BONEZやDAを見れるライブがあって、初めて間近で見て、しかもZepp

最高に興奮したし、あの日から何かが変わった。

 

だいぶ話が逸れてしまったけれど、あの日に戻る。

7月20日

日本時間だと7月21日。

チェスターの訃報がテレビで流れた。

ワンオクとの対バンが消えた。

やっと『ライブ』というものの凄さを知って、これから今まで聴いてきたバンドのライブが見れると思っていたのに。

しかも、海の向こうのバンドを見る最初のバンドになるはずだった。

信じられなかったよ。

しかもちょうど働いていたお店を辞めて都内で働き出したときだった。

心が折れちゃって、数ヶ月引きこもった。 

 

結局、自分はあの頃と同じようにイヤホンを耳につけてそのバンドの音楽を聴くことしかできない。

それが普通で当たり前だったはずなのに、ライブを知ってしまったからこんなにも苦しい。

これは贅沢な悩みなのかも知れない。

 

そんな中、新しいアルバムが出て、またこうして声が聴ける。

死んだ人に会えるはずなんてありえないことだ。

 

でも今こうして、自分はもうこの世にいない人の今まで知らなかった声を聴ける。

歌を聴ける。

音楽は生き続けている。

 

Hello , Chester

また会えて嬉しい。

自分の目で、見ることは叶わなかったけど。

10年も前から、あなたの歌を知ったときからずっと自分の中には存在してる。

本当にありがとう。

この感謝の気持ちを直接伝えることすらもう叶わない。

だから、自分が死ぬまで聴き続ける。

そうして世界が自分と同じように残された音楽を聴き続けて、聴き続けて、後世に伝わって行って欲しい。

 

命日という日は、誕生日にとても近しい。

けれど相手がいない。

何をすることもできない。

ただただみんなで思い出して、思いを馳せる。

 

f:id:musicmoviedk:20200720053202j:plain 

 

 

 

 

 

 

 

Thanks.

DAIKI

 

 

 

 

 

 

 

日本でも悲しい現実が起こった。

同じ死に方をした人が出た。

悲しいと書いたけれど、悲しんでいるのは残された人々で、逝ってしまった人は満足しているかも知れない。

この世を恨んでいるかも知れない、憎んでいるかも知れない。

いつだってその人自身を完全に理解することはない。

自分のことは自分でしかわからない。

でも、自分なのに自分のことだってわからなくなる。

そんなときに、誰かがそばにいてくれたらって思う。

 

残された人には疑問だけが残ってしまうよ。

なんで、どうして、と答えの出ない疑問を繰り返して答えがわからないまま自分もいつかはいなくなってしまう。

答え合わせは向こうに行ったときにやっとわかるのかも知れない。

 

今だってつらい人には、あとを追いたくなる。

あっちの方が良い世界だよ、なんて思ってしまう。

でも、向こうに行った人が自分の前に現れたことなんて一度もない。

ましてや、今の現実よりあっちが良い世界だったら、あっちの人たちがこっちに現れて「向こうの方が楽しいよ」って言ってくるかも知れない。

そんなことあり得ないってわかっているから、みんなこっちで頑張っているんだ。

どっちの選択をするにしても、お互いにもう会えないんだってことは変わらない。

 

これから先、たくさんこういう経験をしていくんだと思う。

自分の知っている人がこの世から次々にいなくなる。

悲しさという胸に空いた傷は塞がらないけど、これからという今をそこに埋めていくしかないんだよな。

 

なんで過去の自分の手紙の話を書いたかって、Twitterで見かけたんだ。

三浦春馬さんが20歳のときに10年後の自分に宛てて書いた手紙というのを見たんだ。

30歳で亡くなったからちょうど10年。

それで、自分のことを思い出した。

過去に書いた自分の内容に苦しめられる。

少なくとも自分は中学生のときに書いた手紙を読んで、救われたと書いたが、苦しくもあった。

過去の自分じゃどうにもできなくて、未来の自分だったらどうにかしてくれると希望を託してた。

でも、自分は自分なのだから。

変わらないまま10年経ってしまった自分が情けなく感じた。

三浦さんが自分と同じように思っていたかは全然わからないし、自分に宛てた手紙を読んでいたかもわからない。

これも余談にはなるけど、自分が生まれた時の苗字は「三浦」だった。

6歳でその苗字から離れることになるんだけど、良い思い出かというと苦い方が多いだろう。

会ったこともない芸能人に勝手に親近感を湧かせて、死を思うなんておこがましいとも思う。

それでも、1人の人間がこの世からいなくなるってことはとても悲しいことなんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

2018年12月8日

 

3連休が終わった。

 

連なる休みと書いて連休のはずなのに全く休んだ気がしない。

 

三日間ライブハウスにいた。

 

ライブレポはレポとして書きたい。

今は今の感覚と思考をここに記す。

 

 

 

 

 

アンダーグラウンドな世界

お酒とタバコの煙にまみれて、混沌とした暗い世界。

 

照らされてる表面世界

陽の下で照らされながら、ただなんとなく生きる世界。

 

ここ数年で音楽がより好きになってライブに行くようになってライブハウスに行くようになった。

でもそこは有名で名の知れてるアーティストたち。

立ち振る舞いや演じるという表現すら成り立つ。

エンターテインメントだ。

 

それからなぜか俺は深く深くに潜ってしまった。

 

昨日、初めて本気の生を感じる現場を見た。

怖かった。

ライブ見終わったあと、足の震えが止まらなくて、顔面は蒼白だったと思う。

 

俺の中で何かが弾けたんだと思った。

 

表面世界では、俺は何食わぬ顔でスーツを着て、働いてる。

ペコペコしながら営業スマイルを振りかざし、お客様とやらをもてなす。

働くということはこういうことなのか?

 

混沌とした暗い世界では、好きな服を来てお酒飲んで音楽に顔を歪ませながら楽しむ。

それが、昨日はスタッフとしてバンドを支える役として動いた。

全然できてなくて、自分に苛立った。

けどやっぱりライブは素晴らしくて、もっと、という欲が出た。

 

「くだらねえんだよ、どいつもこいつも。

面と向かって言ってやるよ、俺はSTANDZのKazuyaだぞ!」

 

こんなこと言える!?

本気だ、この人は本気だ。

 

そんな人がこの世にいる。

 

ライブ終わったあとの楽屋。

あの空気。

あの感情。

足の震えが止まらない。

 

俺は知ってしまった。

 

あぁ、これがリアルか。

LIFE SIZEという等身大。

 

複雑な想いを抱えながら、渋谷に飲みに行ってそこに居たのはすげえベーシスト。

憧れの人と何度も対バンしたすげえベーシスト。

 

他にもストリートで生き抜いてきたベーシスト兄弟。

 

ワクワクしたね。

 

家に帰って起きて今からスーツ着てペコペコするのが何がリアルなんだろう?

 

いやこれもまたリアルなんだ。

多くの人がそうやって生きてる。

 

ふたつの世界を同時に俺は生きようとしているから混乱している。

 

どうしたらいいか分からない。

 

どちらかを辞めるべきなのか?

 

魅了されてしまった以上、もう引き返せない気がしてる。

 

 

我慢だ。

心は絶対に死なせたくないし、目も死にたくない。

もっともっと。

飛び込むのにも準備が必要だ。

最初からあの世界で生きてきた人達といきなり渡り合えるとは思ってない。

両方の世界を今は我慢して生き抜く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

けどやっぱり仕事辞めたいなぁ(笑)

この気持ちもまたリアルだからいいのかな?

 

完全に引きずり込まれた日。
f:id:past-now-future:20181208170817j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Thanks.

THANK SiM

f:id:musicmoviedk:20200618045310j:plain

 

"brothers and sisters! finally, the wait is over 

 this is the dawn, this is the calm before the storm

 are you ready?"

 

”兄弟、姉妹たちよ 待ちわびた時が来たんだ

 これは夜明け 嵐の前の静けさだ

 準備はできているか?”

 

 

 

久しぶりにタワレコに行ってCDを買った。

買わなきゃいけない、手に入れなきゃいけない、と衝動に駆られた。

6月15日の深夜、YouTubeにアップされたSiMの新しいMVを見た。

見終わった後に明日CDを買いに行こうと決めた。

自分でもなんでだかはよくわからない。

ただ、MVに載っている日本語訳のリリックがたまらなく心を刺激してきたんだ。

ものごころついた時から父親がいなかったからかな?

高校生のころ、死ぬほどハマっていたバンドがこんな曲を出すようになったからかな?

とにかく、『今』のSiMのアルバムを手に入れないとダメな気がしたんだ。

 

買ったあとにすぐには聴かず、サブスクでSiMの1st アルバムから通して聴いた。

まるでマンガの新刊が出たらそのマンガを1から読み直しをするのと同じように。

1日中、SiMだけを聴いたのは一体いつぶりだっただろう。

 

 

 

昔話。

自分がSiMに出会った時。

2012年の高校2年生の春が過ぎ去った頃。

席替えをしたときに近くにいた女の子のクラスメートと仲良くなった。

好きな音楽の話になって、ワンオクやUVERにハマっていた自分がロック好きだよと話すとSiMってバンドがかっこいいよって教えてくれた。

シム?って思ってその日、家帰ってYouTubeで検索する。

出てきたのはKiLLiNG MEだった。

 

特徴的なイントロから

”がああああああああああ”

 

!?

かっけえええ、なんだこれ、やべえええ!

それが最初の出会い。

教えてくれた女の子の友達がこれまたすごくおっとりしていて、そんな激しい音楽を聴くようなタイプに見えなかったから余計に驚いた。

翌日にその子に興奮しながら話しかけたの今でも覚えている。

そんな俺の反応が嬉しかったのか、CDを2枚持ってきてくれた。

『SEEDS OF HOPE』と『LiFE and DEATH』

 

その日から通学の電車の中で聴くのはSiM一色だった。

知ってる人はわかると思うけど、朝の西船橋から武蔵野線東京行き電車は乗車率120%

夢の国ディズニーランドに行ける電車でもある。

舞浜の一歩手前、浦安で降りるから朝は夢の国へ行く人と東京方面の社会人たちに揉まれまくった。

あの経験があるからライブのモッシュも平気だったのかもしれない…笑(完全に余談)

 

YouTubeのお気に入りの動画で5番目に登録したのがAmy、次いでJACK. B 、KiLLiNG MEだった。

学校帰りの放課後、いつものメンツでカラオケに行ってSiMを歌う。

まあ、とにかくSiMがめっちゃ好きになったんだ。

 

でも高校生活の間にライブに行くことはなかった。

SiMだけじゃなくて、好きなバンドのライブに行くことはなかった。

苦学生と呼ばれるような生活を送っていて、ほとんど毎日アルバイト。

心の支えはポケットに入れたiPodに繋がっている有線のイヤホンから流れるロックな音楽たち。

SiM、ONE OK ROCK、coldrain、Fear,and Loathing in Las Vegas、SUPER BEAVERRIZE、L'Arc~en~Ciel、GLAYRADWIMPS、BUMP OF CHIKIN、世界の終わり、あと何がいたかな。

あとは海外バンドがちらほら。

今も第一線で活躍しているバンドばかりだね笑

ここに書き出して改めて思ったけどあんだけ好きなPTPに出会わなかったってある意味、奇跡だなと思う。

PTPに出会うのはまた数年後。

 

ライブ映像を見たりしてすげえな〜いつか行ってみたいな〜なんて思っていた。

ちゃんと数年後にライブに行けるのもまた数年後のお話。

 

 さて、話を現代に戻す。

「時を戻そう」

ぺこぱのセリフ、一回使ってみたかったんだよね。

ここ数日、人と会話することすらなくなっている、、、

嫌なご時世になってしまった。

 

そんな日常に飛び込んできたSiMの神盤。

冒頭にも書いた通り、今買わなくちゃと買った。

ジャケットがどんな絵をしているのか、何曲入っているのか、何も知らなくてそもそも発売が延期していることすら知らなかった。

そんな状態だったからジャケットを手にとって裏の絵を見て驚いた。

最初に手にした『LiFE and DEATH』の表紙にそっくりだったからだ。

左足が1本。

なんとなく衝動的に駆られて買ったのは、見えない糸で手繰り寄せられていたからなのかもしれない笑

 

新しいアルバムの解説というか感想を書こうと思ったんだけれど、なんとこのアルバムの初回限定版はMAHさんによる2万字の解説書がついているらしい。

2万字って相当だよ。

ブログを書いてて思うけど1万文字書くのもでも大変。

でも伝えたいことがあるとどんどん言葉が増えていく。

自分が書いたブレアフェス1日目の記事は1万字超えだった気がするから、あれの倍と考えると本当に相当だ。

上にも書いたけれど、何も知らないで買ったから自分がタワレコで買ったのは通常盤だということに気が付く。

フラゲ日にわざわざ買いに行って通常盤って…

無知って怖いな…と改めて思い知りました。

解説書も読んでいないのにこのアルバムを語るのは野暮かもしれない、と思ったのでタワレコオンラインで初回限定盤を注文した。

 

よくよく考えたら今の時代はCD販売開始する時に大体初回限定盤あるよね。

次回から気をつけよう。

なんで今の時代に初回特典がついたりするのか。

それについてちょっと触れながら書いていく。

 

このアルバムを聴くにあたって、SiMの曲を全部聴きたくなってサブスクで探した。

ほとんど解禁されているみたいでアルバムはちゃんと全部聴けた。

SiMをずっと聴いていたわけじゃない。

高校3年生の受験シーズンに『PANDORA』が発売されたけど、そのアルバムをしっかり聴いたのは1〜2年経ったあとだったと思う。

そのあとの曲たちはほとんど知らない。

どんどん有名になっていってライブキッズでSiMを知らない人はいないほど。

若い子たちがライブハウスよりもフェスに行くのが主流になって、カラフルなディッキーズを履いてタオル掲げて写真撮るようになった頃はもう全然聴いてなかった。

その頃あたりにPTPに出会って2015年くらいかな。

ライブが見れなくなる、なんてことがあるんだって知った。

高校生の時に聴いていたバンドたちが、解散もしくは死ぬ、あり得なくはない。

『ライブ』という生のものに足が重かったのを後押ししてくれたのは間違いなくPTPだった。

 

少しずつバンドのライブに行き始めた時、今日はなんかライブないかな〜って今は無きチケットキャンプで当日チケットを探した。

そしたらソールドアウトしてるSiMのZeppTOKYOのチケットが格安で投げ売りされていた。

確かあの時、めちゃくちゃチケット余っていた気がする。

ソールドしてるのになんで?と思ったけどその答えはすぐわかった。

会場に行って中に入ると後ろの方はかなり空いていた。

ライブに来ている子たちといえば自分と同じくらいか、それより下か。

初めて生で見るSiMに興奮したけど知らない曲も多くて、なんだか遠い存在。

初めから近くもないんだけどね笑

それでも高校時代に聴いていた曲たちを生で聴いたときは涙が出るほど嬉しかったし、今日来て良かったと思えた。

 

あんなにかっこいいのになんでチケットが投げ売りされるか。

今の子たちはチケットを取るために友達の名前使ったりして、自分だけの1枚あればいいのにたくさん応募するんだよね。

それが悪いとは言わないけど、譲り先が決まっていたり、本当に行きたい人が行けないことを考えるとマナー的にどうなの?って。

でもその人たちのおかげで、おこぼれみたいに安いチケットが手に入ってライブに行ける自分もいる。

捨てる神あれば拾う神ありって感じかな?

でもやっぱり正規の値段でチケットを手に入れて、チケットに自分の名前が入ってるのを見ると「よっしゃ!楽しむぞ」って心から思える気がする。

 

何もライブに限った話じゃない。

今はCDで稼げないと言われている時代。

だから、CD”のみ”という売り方をするより何か特典をつける。

あれは結果的に原価どうなんだろう?って思うことあるけど、CD”だけ”で売ってた時代の方が圧倒的に稼げていたのは目に見えている。

 

MAHさんが書いているアメーバブログで載せていた話がある。

2011年頃にTwitterで音源貰ってるやつ○ね!ってやつね。

もう昔のことだし今ここに書くのはどうかな?とは思うけど、サブスク時代に突入してもなお、MusicFMで聴いてる人は絶えない。

正規のルートじゃない方法で音楽を聴く。

このことの重大さがわからない、理解できない人たちがまだまだたくさんいる。

今じゃDEAD POPの主催で2万人以上を動員できるバンドのボーカルが、この問題に2011年頃から声を上げているってすごいことだと思う。

 

むしろ、めちゃくちゃ売れている時ではなくてSiMとしてKiLLiNG MEが世に出て勢いをつけている時に上に書いたことをやられると失速しちゃう。

大きな箱を借りるのにも、もちろんお金がかかる。

じゃあそのお金ってどこから出るの?もちろん物販、CDやらだ。

 

こんなこと書いておきながら、自分だってSiMを知ったのはCDを貸してもらったからだ。

まず言いたいのは、
データやCD-Rなんかに勝手にパッケージするのはやめてくれってこと。
貸し借りするならせめてちゃんとしたCDで貸してあげて。

そして、売物をタダで手に入れるってことを当り前だと思わないでくれってこと。
無料配布音源ならOKです。
でも、俺らは音楽に対価をつけて提供しています。
その意味を、考えてみて下さい。"

MAHさんが書いていたことを抜粋。

自分の場合は、友達がちゃんとした”CD”で貸してくれた。

ジャケット、歌詞カード、全部ちゃんとしていた。

だから今作のアルバムの裏ジャケットにも興奮したんだ。

あの時にちゃんとしたCDを友達が貸してくれたから。

 

でも自分は、高校生の時に貸してくれたあとにSiMに対価を払ったかというとそうじゃない。

ライブにも行かなかったし、次のアルバムも買わなかった。

正確には行けなかったし、買えなかった。けど、それは言い訳でしかない。

そんな自分の考えを変えてくれたのが”Pay money To my Pain”という言葉。

MAHさんがWeigt of my prideをカバーしたライブをYouTubeで見て、SiMのライブに行きてえってまた思えた。

 

還元は少ないかもしれないけれど、サブスクでSiMを聴くことはしっかり繋がっている。

今回、自分はCDを2枚買うことになってしまったけど、それは今までを考える良いきっかけになった。

罰として2枚買えよ?って言われてるみたいだ笑

コロナのせいでツアーも全部吹っ飛んだ。

でもコロナがあったからこのタイミングでこのCDを手にするタイミングにも出会えた。

全部に言えることだけど”コロナのせい”ばかりの世の中だけど、”コロナのおかげ”の出来事もある。

今はただただライブハウスが通常通り営業出来て、またロックバンドたちが音を鳴らす日を願うばかり。

 

MAHさんのブログにはたくさんのことが書いてある。

アメーバブログを読むようになったのも、PTPのKさんが書いていたのを読み始めたから。

自分がブログを書くようになったルーツもそう。

そして今やっているSTANDZのバンドスタッフをやるきっかけになったのもブログ。

Vo.Kazuyaさんがブログ書いてくださいって…(STANDZブログ全然書いてないのでそろそろ殺されるかもしれない) 

そして、Kazuyaさんと話してる時によく出るのがこのMAHさんのブログの話。

自分がライブキッズのようにいろんなライブに行ったように、Kazuyaさんも昔はライブキッズのようにたくさん行っていた。

PTPの追っかけをやっていたくらいだ。

だから自分が行けなかった高校生時代とその少し前、自分がロックに入り込んだ歳くらいにKazuyaさんはライブハウスで今のでかいバンドたちを見ていた。

渋谷サイクロンでお客さんが全然いない頃のSiMのライブだったり、PTPの前座で出たcoldrainの話だったり。

Kazuyaさんが話してくれるそんなお話の中で、すげえなぁって思ったものを一つ。

 

2011年のAIR JAM

震災をきっかけに伝説なバンドHi-STANDARDが復活した日。

PTP、BRAHMAN、ホルモン、FACT、 etc…

名だたるメンツが出ているライブにKazuyaさんも行った。

YouTubeに上がっているPTPのThis lifeの映像に、実はライブキッズとしてはしゃぐ彼の姿が映り込んでいる…笑

そんな日の帰り道、MAHさんに会ったそうだ。

話しかけて駅まで一緒に帰ったらしいが、MAHさんはずっと落ち込んだような様子だったらしい。

その日の夜、MAHさんがアメーバブログでAIR JAM2011の出来事を長い文で綴った。

内容は、直接読んだ方が良いと思う。

あとで下にリンク貼っときます。

 

Kazuyaさんはそんな思い綴った文を読んで感動したらしい。

間近でそういうのを見てきてるからこそ、この人もまたブレないんだなと思える。

他にもMAHさんのブログにはバンドマンとして、人として、ステージに立つものとしての思いを結構語っている。

それがどれだけの人に届くかは分からない。

SiMの曲は好きだけど、ライブに行ったことない人、ブログを読んだことない人、それぞれいるけどそこで差別化を図ったりするのはナンセンスだ。

行き着くところは”好き”だけなのにそれ以外に着目しようとする。

自分もSTANDZに出会えたおかげでまだまだ世に出ていない、知られていないであろうバンドをたくさん見ることが出来た。

そこにインディーズバンドをどれだけ知っているかのマウントなんていらない。

こうやってブログを書いて知ってもらう可能性に賭けたりしてる。

それは”好き”だから。

 

余談になってしまうけど、高校生の頃にハイスタが大好きな化学の先生がいた。

化学の授業ではクラス移動で自分は教卓の1番前だった。

ある日、いつものように授業始めるかと思ったら話し出した。

Hi-STANDARDってバンドがいてな…」

化学の授業50分、丸々使ってハイスタについて語り出したんだよね笑

AIR JAM2011というのが開催された、どうしても行きたかった、仕事、家庭、今行くべきなのか。

先生の葛藤と、ハイスタへの愛を真剣に語っていて、ハイスタを知らない人からすると授業潰れてラッキーなんて思っていただろうけど、俺は授業終わってもまだ聞きたかった。

まあ、その先生とは廊下ですれ違うたびに捕まってライブ話を聞かされるようになるんだけど…あの先生は今も元気かな〜ハイスタの新譜出たときめちゃくちゃ喜んだんだろうな〜

なんてたまに思い返す。

行けなかったのに熱い思いを語れるほどのフェス、『AIRJAM』

恐ろしいよね笑

 

だからMAHさんがバンドマンとしてこれでいいのかと葛藤した文を綴るのもわかる気がする。

 

そして今年、SiMの盟友であるcoldrainのフェス『BLARE FES』が開催された。

MAHさんが帰りに落ち込んだ様子でいたように、自分も帰りは結構しんどかった。

自分はステージに立つ側ではないからバンドマンの気持ちを全部は分からないけど、STANDZのスタッフを1年やって、間近で見てきたからこそしんどくなった。

 

壁がデカすぎる

 

時代は流れて、昔から見てきた人たちにとっての”AIR JAM”が、言わば自分たちにとっては”BLARE FES”だったわけだ。

SiMもcoldrainも出てたバンドたちも、自分にとっては先生が熱く語ったハイスタと同じなんだ。

 

AIR JAMで見れなかったバンドたちはたくさんいたけど、今という時代のバンドたちをたくさん見れたのは間違いなくあの日。

1日目のブログは書けたけど、2日目のブログはまだ未完。

でもMAHさんのブログを久しぶりに読んで、しっかり書き終えると決めた。

時間はかかってしまったけれど、それでもいい。

 

先日公開されたMV『BASEBALL BAT』

”今”のSiMを感じられた。

ブレアフェスの裏で撮ったみたいだけど、まさしくあれが今のシーンなんだ。

そしてまた次のシーンが殴り込みにやってくる。

まさしくバットを持って次々と殴り込みにくるよ笑

 

まずはこの状況をしっかり生き抜く 。

どんなバンドも例外なく、ライブがやれる日まで息をし続けなければならない。

こうやって新しいアルバムを出してくれることにただただ感謝を

THANK SiM

 

 

 


SiM – FATHERS (OFFICIAL VIDEO)

 

 

 MAHさんのブログ

 https://ameblo.jp/sim-mah/entry-11022428375.html

 

 

 

 

 

 

 

 

Thanks.

DAIKI

 

 

 

一曲目にちなんで夜明けまでに書き上げようと思ったらこんな時間になってしまった。

今日からまたブログを書き続ける。

次回はサブスクについてorブレア2日目もしくは全然違うやつ。

ここまで読んでくれてありがとうございました。

 

夢にときめけ!明日にきらめけ!


f:id:musicmoviedk:20200426011538j:image

 

 

仕事に向かう途中の道で、野球ボールが転がってきた。

コロコロと足元までたどり着いたボールを拾って、転がってきた方向を見る。

都会の小さな小学校の校庭から子どもと父親であろう人物がこっちに向かってきた。

手に持ったボールをその親子に投げた瞬間、耳にしていたイヤホンから綺麗なイントロとともに歌が流れた。

 

窓から~ 流れる景色 変わらない この街 旅立つ

 

GReeeeNの『遥か』だった。

 

嘘だろ!?って思いながらちょっとにやけてそのまま仕事に向かった。

 

自粛が続く中、行きたいところにも行けず家で過ごす時間が増えた。

動画配信サービスの映画ランキングを何度も覗いて、見たくなるようなものを探すけれどどれも気が進まない。

そんななか、ドラマのカテゴリーにルーキーズがあった。

2000年代を代表するドラマの一つ。 

みんながあの頃に熱狂しただろうドラマだけど、自分は見たことが無かった。

テレビっ子ではいたけど、ドラマよりアニメや昔の映画とかそっちばかり見ていた。

思えば学校に行っても昨日のアレ見た?とかの話題は全然通じなかったなぁ笑

 

まあ、時間もあるしとりあえず見てみるか…と思いながら第一話を鑑賞。

ものの見事にハマった。

キャストが今考えるとすげーメンツばかり。

こんだけのイケメンたちがいたらそりゃ画面映えするよなとか思いながら時間を忘れて次の話へと進んでいく。

話の展開には鳥肌が立つくらいこっぱずかしくなるようなセリフや演出の数々。

それでも部活動を頑張ってた頃の自分と重ねたり、当時友達だった野球少年の気持ちをいまさら汲み取ってみたり、いろんなことを考えさせられた。

最終話に近づくにつれて目頭が熱くなって視界がぼやけることが多くなった。

そしてドラマの終わりには毎回主題歌の『キセキ』が流れる。

 

この曲が流行ったとき、ちょうど中学に入学した。

J-POP真っただ中。

アクアタイムズ、西野カナオレンジレンジ、ジャニーズ、YUI、etc…

あの頃聴いてた音楽って、歌詞を覚えようとしてたわけじゃないのになんか覚えている。

それくらい日常に溶け込んでいたことがわかる。

 

もう何年もGreeeeNを聴いていなかったけど、ここにきて再燃。

好きな子とカラオケ行ったときに歌った『愛唄』や、高校の文化祭で友達がバンドでライブした『オレンジ』

そしてなによりも、DSのゲームでGreeeeN音ゲーがあった。

それにめちゃくちゃハマって、当時の大体の曲は知ってた気がする。

まあそんなこんなで、今はサブスクのおかげで昔聴いてた音楽に再びハマったときの懐かしさと、いまだにこの音楽を聴ける喜びにどっぷり浸れる。

 

ドラマ版のルーキーズを見終わって、映画のルーキーズ卒業もしっかり見た。

そこで使われた主題歌は『遥か』だった。

曲自体はもちろん知っていたけど、映画の主題歌だとは知らなかった。

今になってちゃんと中身を知れたというか。

音楽は音楽そのもの単体で存在していいと思う、けれど、タイアップや音楽とは違う別の何かに使われるというのもありだ。

音楽としての造りがわからないただ聴くだけの人にとっては、付加価値がつくことによってその人だけの音楽になりうる。

 

今日の出来事で、自分にとってGreeeeNの音楽が思い出と感情そのものであることを確信した。

ボールを投げた親子はきっと再びキャッチボールを始めただろう。

物心ついたときから父親がいなかった自分には、父親とキャッチボールというのは実は密かな夢だったのかもしれない。

子どもの頃から野球が好きじゃなかったのは、キャッチボールの楽しさを知らなかったからなのかもしれない。

学校のみんなの話に入りたかったけど、野球が好きじゃなかったからルーキーズを見なかったのかもしれない。

あの頃の気持ちなんてほとんど忘れてしまっているけれど、一つだけ確かなのは自分も大人になってしまったんだなということ。

親子に向かってボールを投げた時、自分はもう父親側の存在にこれからなるかもしれないということ。

子どもの頃の夢を叶えることはもうできないけれど、大人になって子どもたちの夢を叶えてやることができる存在になれるかもしれないということ。

ルーキーズを見て、感化されすぎたかな笑

 

こんな暗い世の中になってしまった。

しかし、あの親子にとってはあのキャッチボールをしている時間は世界と関係ない。

あの二人だけの空間があるんだよね。

それはすごく良いこと。

それなのに、外出を控えるように言われているこの世の中では、はたから見たら腫物扱いされてしまう。

すごくめんどうな世界になってしまった。

ただ親子でキャッチボールをしているだけなのに。

 

自分の過去と、親子の楽しでいる姿と、今の風潮、を一瞬で全て受け止め考えての結果がにやけだった。

そしてもう一つ。

今年に入って嬉しかった出来事を思い出した。

 

GreeeeNのプロデューサーであるJINさんに出会えたこと。

Pay money To my PainでJINさんを知って、その人がGreeeeNのプロデューサーだったことを知ったのはほんの数年前だ。

自分が好きだった音楽が巡り巡って、自分を救ってくれた音楽を作った人と繋がる。

それだけでもすげえ!って思ってたのに。

今年行ったライブハウスで出会ったんだ。

それは今スタッフをしてるバンドSTANDZのおかげだ。

いろんなことが巡って、子どもの頃に死ぬほど聴いてた音楽を作った人に出会うって。

ルーキーズの御子柴のセリフを借りるなら、「今までのことはすべて奇跡だったんじゃないかって。

子どもの頃の自分が今の自分を見たら、呆れられるくらいひどい生活をここ数年してきた。

後ろめたさや劣等感を常に抱いて生きてきたけど、少しは顔を向けられるようになったかなあ。

 

こんなところで満足していてはダメだ。

まだまだ高みを目指したい。

今は悪いウイルスのせいで何もできない日々だけど、これが終わったらまた進んでいこう。

 また再び夢にときめく日々と、明日にきらめけるような時間を過ごしていこう。

 

 

 

とりあえず今は昔に見損ねたドラマをひたすら見ようと思う笑

 

 

 

 

 

 

 

 

Thanks.

DAIKI

 

 

 

 

Go to the next Stage!

 

 

今の状態が映画の中のストーリーだとして、劇中のどれくらいの部分まで進んだのだろうか?

起承転結で物事は収まっている。

起:コロナウイルスが世に広まる。

承:各国で対応開始、このお話がどういう結果になるかはまだ想像できない。

転:ワクチンの開発成功、全世界に希望が見え始める(理想)

結:物語の終結、ハッピーエンドかバッドエンドかはまだわからない。

 

映画を見ているとき、起承転結の「起」の部分で今見ているお話の「結」を意識する人はあんまりいないと思う。

「承」の部分に入って初めてこのお話の終わりを想像する。

バッドエンドなのかハッピーエンドなのかハラハラする。

現実の今は「承」の部分が始まり、この状態の終わりを想像しているけれど「転」の部分が始まっていないから予想しようにもなかなか希望が湧かない。

120分の映画だとして、今はまだ45分経ったか経たないかぐらいかな。

 

なっげえ笑

しんどいよね。

めちゃくちゃしんどい。

物事に必ず終わりが来るんだけど、今を生きている人たちにとっては肌でその時間を感じる。

途方もなく長く感じる。

ただ、もう少しすれば「転」の部分に入り希望が湧くと思っている。

そこで浮かれすぎないように。

 

45分映画見てこのつまんねー映画いいやってドロップアウトする人はそんなにいないと思ってる。

なんだかんだ最後まで見ちゃう。

最初の30分は切り捨ててしまうかもしれない。

現状、それは自粛の要請に近いのかな。

3月の3連休がまさにそうだと思う。

コロナ大丈夫でしょ、と外出してしまい一旦目を逸らした。

現実なんだからここで物語を切ることができずに無情にも進んでいく。

 

「結」の部分は今は想像できない、けれどなかなか面白そうなことにはなっていると思う。

バッドエンドと見せかけて作中の主人公たちにとってはハッピーエンド。

その逆もまたしかり。

俺たちは生き残ったけど、失ったものが多かった。

それはハッピーエンド?バッドエンド?

「結」の部分は人それぞれで導き出す答えが変わってくる。

だから映画を見てレビューや考察で意見が分かれて論争が巻き起こる。

 

昨年公開された「天気の子」

「君の名は」が大ヒットして見に行く人も多かっただろう。

普段ただ楽しいハッピーエンドしか見ない人たちにとっては裏切った作品だと思っている笑

極端な話だけど、国が崩壊するとこはあるかもしれない。

でも生き残ったら勝ち。

大切な人がそばにいてくれたら世界がどうなろうが大丈夫。

これは現実に通用するのか。

どうなんだろうな〜

 

確かなことは、生きてさえいればやり直せることの方が多い。

 

 

 

 

『たくさん笑わせてくれた人』

 

3月の終わり。

物語の1番の敵であるウイルスの魔の手にかかり、日本にとって偉大な人が亡くなった。

まさかと思ったよね。

みんながみんな助かると思っていた。

志村けんが死ぬ世界なんてあるのか、と。

そりゃ人間だからいつかは最後の時が来る。

でも、確実に今じゃない、今であっていいはずがない。

肉眼では見えない敵に憎しみが生まれる人がたくさんいたと思う。

そんな中で放送された追悼番組。

声を上げて笑った。

憎しみがふっと消えるくらい笑った。

 

この壮大な物語のなかで「起」から「承」に移るきっかけは間違いなく、志村けんだった。

生きていたら本当に映画の主演を演じるはずだったのに。

見たかったなぁ。

 

3月30日のお昼。

目が覚めて、スマホを見る。

通知欄にドコモからのニュースが届いている。

その見出しには「志村けん死去」

寝ぼけていた頭が一瞬で覚める。

タップして通知を開くと、コロナウイルスに殺されていた。

その日のSNSはもう荒れてたよね。

夜勤の仕事行くのもだるくなってしまって、ため息をずっとつきながら仕事をした。

次の日の31日の深夜に放送された「志村でナイト」ではテロップを始めに流して、ほぼ通常通りの放送がされた。

志村けんと千鳥大吾の掛け合いに笑いながら見た。

そして4月1日、ドリフの3人をはじめとする追悼番組が放送。

夜勤だったから録画して次の日に見たけど、めちゃくちゃ笑った。

腹抱えて笑ったよ。

まず、番組が始まってすぐに笑った。

不謹慎かもしれないけど、スタジオのセットがもう、コントに見える。

BGMではG線上のアリアが流れていたけど、全然似合わなくてそれすらもコントかと思わせる。

ドリフの頃からのコントが延々と放送された。

最初の方はいかりや長介も出ていて、ある意味いかりやさんの追悼も兼ねているようだった。

元気に動くいかりやさんを見ながら、今はいかりやさんがいないことを受け入れることができている。

受け入れられているというのかな。

時間が経っているからかもしれない。

志村けんさんもいつか受け入れられる日が来るのかな。

 

番組の終わりにみんなが褒め称える。

なんか戦友って感じがしてそれがカッコ良くもあった。

弔辞で笑かしにくるところとかさすがだと思った。

画面が引いてスタジオが全部映ったときに、背後の1番大きい写真を破って志村けんが「バカヤロウ」って飛び出してくると思った。

なんでかって、この番組が放送されたのは4月1日。

エイプリルフールだぜ。

あまり好きじゃないエイプリルフールがさらに嫌いになった。

エンドロールではクラシック音楽が流れて数々の写真がスライドショーのように流れる。

それがまた可笑しい写真ばかりで、最後まで笑ってしまった。

こんなにも音楽と映像がリンクしてないことなんてそうそうない。

それはまだ死んでないと思っているから、受け入れられてないと思うから。

それでも一年後にあの追悼番組をまた見たとしても、笑うと思う。

それってすごいことだよね。

 

それからここ数日はYouTubeでたくさん志村けんのコントを見た。

なんでこんなに好きなんだろうなとか思っていたんだけど、納得のいくものがいくつかあった。

こんな状態だけど仕事はあって職場には行かなくてはいけない。

けれど、仕事内容があるかといったら暇だ。

毎日ネット徘徊をして相当数の記事を読んでる。

まともなことが書いてある記事もあれば、フェイクニュースを堂々掲示してるとこもある。

そんな中で志村けんに関する記事もたくさんあった。

  

【追悼】24年前、突如広まった“志村けん死亡説”とは何だったのか #志村けん #ラリー遠田 https://bunshun.jp/articles/-/36979

 

この記事に書かれている、「誰もが志村世代」 「志村離れを経て、人は大人になる」

なるほど、確かにそうかもしれない。

子どものころ鍵っ子で外で遊ぶよりもテレビをずっと見ていたからドリフとかよく見てた。

ケーブルテレビを契約してたからアニメもドリフも映画も見放題。

自分を形成してるのはテレビだと間違いなく言える。

でもいつからから時間が合わなくなったりして全然テレビを見ることがなくなった。

高校卒業してフリーターで働いて終電で帰ってきたときに、今日も疲れたなってコンビニ飯を広げてとりあえずテレビをつけると「志村の時間」が放送されていた。

再びリアルタイムで志村けんのコントを見たときにめちゃくちゃ元気をもらったことを今でも覚えている。

おじいちゃんになったけどいつまでも面白いことやってるよなって。

自分もお酒を飲める歳になり、一緒にいつか飲んでみたいと思っていた。

また一つ、叶わない夢ができてしまったことが非常に残念だ。

 

なんで志村けんを見て安心するんだろう。

YouTubeで漁りながら分かったこと。

「声」だ。

まさに、おじいちゃんなんだよね。

自分に生まれた時からおじいちゃんがいなかったからかもしれないけど。

おじいちゃんみたいな存在。

その声を聞くと安心するというか。

 

スピッツの曲「楓」で君の声を抱いて歩いていく。この歌詞で声を抱いて歩くってなんのこっちゃと思っていたんだけど。

人が人を忘れるのはまず「声」から忘れていくらしい。

だから「君の声を抱いて歩いていく」という歌詞を改めて聴いた時、すげえと思った。

間違いなく忘れることのない声。

小さい時から聴いてる声はあんまり忘れないんじゃないかな。

だからおじいちゃんみたいな存在だったんだと今更になって気づいた。

 

もっとも死が似合わない人が逝ってしまった。

最後の最後まで笑いを生み出していた。

新しいものを生み出さないということは、いけないことではない。

けれど、それはつまらないと思う。

生み出すことはとても大変なことだけど。

生涯を通して、ここまで多くの笑いを生み出して、尚且つこの世から去ってもまた生み出してる。

死んでしまった人を笑っていいはずが無いのにみんな追悼番組を見て、笑いながら泣いた。

これは凄すぎることだよ。

本当にすごい。

 

たくさんの人がSNSで自分の思い出と志村けんを照らし合わせていた。

自分語りするなとかコロナの抑止に使うなとかいろんな意見も飛んだ。

そんなくだらないこと言ってる人たちよりも、生み出されたお笑いコントを見て、笑って泣いてる方が俺はいいと思う。

あれから数日経ってしまったけど、自分が思っていることも書こうと思っていた。

志村けんのことについて書いてある記事をたくさん読んで、おじさん世代の人たちの熱い気持ちも伝わった。

それに感化されたのもあるけど、今一度、自分が文章を書けるならこの気持ちをしっかり書いておこうと思った。

ここに記せて良かった。

志村けんさん、ありがとうございました。

心より、 ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 『緊急事態宣言発令』

 

4月7日に「緊急事態宣言」が発令された。

中学生の頃の自分ならまるでエヴァンゲリオンみたいだー!やべえ!って思っているだろう。

それが今や無関心になっている人も多いかもしれない。

これがどういうものなのかしっかり知れば、そんなに慌てることはない。

法的拘束力を持たないのが救いなのか、災いなのか。

今までの国民の総意が今の状況を選んだんだ!って声を上げている人がいるけど、それを今言ってどうする。

難しい漢字や聞き慣れない言葉、横文字。

日々情報が飛び交いごちゃごちゃしてる。

だから一つずつ消化していく。

テレワークとリモートワークの違いはなに?とか笑

違いはないらしいよ、何それって感じ。

3密とかの言葉も小池さんが発信して、詰め寄る記者たちに「密です!密です!」と追い払っている場面も放送された。

ちょっと笑ってしまったけど、そういう使い方をすれば意味は伝わる。

わからないことがあればとことん調べよう。

こんなときに大切なのは、正しい情報の取捨選択。

信じられるメディアは一体どれなのか。

先日NHKで放送していたものは実に面白かった。

http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20200405_2

 


[NHKスペシャル] 渡辺直美さんがネットとの付き合い方を語る | デジタルVSリアル | NHK

 

デジタル VS リアル 

第1回は、氾濫するウソの情報=「フェイク」との闘い。「事実」よりはるかに“拡散力”を持つと言われる「フェイク」が世界中で混乱を巻き起こしている。メキシコでは「フェイク」によって誘拐犯とされてしまった無実の若者が、群衆に殺害されるという痛ましい事件が発生した。
さらに、AIを使った最新の映像技術「ディープフェイク」によって、身に覚えのないポルノが作られる「フェイクポルノ」の被害が、日本をはじめ世界中で報告されている。
そして「フェイク」は“民主主義”の根幹「選挙」の場でまん延。私たちは知らず知らずのうちに、世論操作を受けている可能性も指摘されている。世論誘導ビジネスの最前線メキシコの潜入取材もまじえ、「フェイク」との攻防にカメラが密着。何が事実で何が嘘か分からない情報が氾濫し、信じたい情報が信じられ“真実”が揺らぐ時代、私たちに何ができるのか?

 

ディープフェイクという言葉を初めて知ったし、それが選挙にまで手が伸びている。

これから毎週日曜日に放送される予定だ。

おもしろかったので興味ある人はぜひ。

 

「緊急事態宣言」が発令されて、起承転結の「承」に突入した。

物語のなかで出てくる敵は1つとは限らない。

第二の敵、第三の敵が現れる。

それがいわゆるフェイクニュースだったり、コロナウイルスと闘う現場の最前線に立っている人たちに対する誹謗中傷、給付金申請する役所の窓口に難癖つける人たち。

ついにはこないだ、コロナウイルスによる収入減で夫婦喧嘩になり、旦那さんが奥さんを殺してしまった事件。

そのニュースを見たときに、始まってしまったと思った。

恐怖の連鎖とも言うべき、行い。

みんなコロナウイルスに攻撃されているのに、なぜか人同士で傷つけあう。

どんな映画でも似たようなシーンはあるだろう。

まだ見てないけれど、Netflixアマゾンプライムなどで配信されている「コンテイジョン」というウイルス感染を題材にした映画が再評価されている。

 不安を煽ることになるかもしれないが、見れる人は見といた方がいいのかもしれない。

知っているのと知らないのでは天と地の差がある。

今一度、自分たちに何ができるのかを知ることができるかもしれない。

 

日に日に敵はどんどん増えていく。

精神が追い詰められれば、自分自身でさえ敵になりうる。

 

自分が働いているところも売り上げが8割減になり、経営が圧迫している。

いっそのこと休業してしまえばいいのに、なぜか働かせる。

休業補償を会社で出したくないだとかいろんな思惑があるのだろう。

お金がある人たちはこの自粛生活でも難なく過ごすことはできるかもしれない。

アメリカでは低所得者ほどコロナに感染する割合が大きいと統計が取れた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/inosehijiri/20200403-00171163/

 

命を守るために家にこもらねばいけない時期に、明日の飯が食えないから命のリスクを冒して外に出る。

これは矛盾していないか?

まるで餓死をするか病死をするかどちらかを選べと言っているようなものだ。

だから国が生き残りの道を国民に作らなきゃいけない。

それなのに国のトップがSNSを使って優雅にくつろぐ姿を投稿。

もちろん、その動画の趣旨は家にいてくださいという自粛を促すものだとみんな分かっている。

けれど、国のトップとしての見せ方が他にもあったはず。

日々の生活に辟易しているなかでアレは頭に来る人も多いだろう。

それなのにSNSだけで炎上して現実に暴動が起きない日本という国の凄さを改めて感じる。

 

精神が不安定になれば正常な判断は難しい。

自分たちと同じように国のトップたちも精神的に追い詰められて正常な判断ができなかったんだと思いたい。

ただ一つ許せないのは、音楽の居場所であるライブハウスという場所を名指しで感染の要因とあげ、挙句の果てには閉店にまで追い込まれた。

先人たちが培ってきたカルチャーを未来につなぐため、生業にして仕事をしてきた人たちの収入がゼロになった。

これから先、音楽ができなくなるかもしれない。

そんななかで補償もまともにできず、頭を深くも下げられない人が、容易にその音楽に乗っかった。

これは冒涜以外のナニモノでもないよね。

冷静に今を捉えようと踏ん張っているなかで、さすがにアレは動揺してしまった。

カルチャーの力を信じるのは自由だが、カルチャーというコンテンツを正当化するための道具として使わないでほしい。

 

この国は『感染症対策』をしたいのではなく、『経済対策』をしたいみたいだ。

いや、この二つをイコールで結ぼうとしている。

それは到底無理な話だと思う。

まさしく今、映画の中で最大の絶望を味わう時間なんだと痛感する。

 今は政権批判をしている場合ではないのに。

ただ助けてほしいだけなのに。

だから、助けてほしいという声を上げ続けることだけはやめちゃだめだ。

声が途絶えたら忘れ去られてしまう。

それこそ冒頭に書いた、「人は声から忘れていく」

自分たちの安全が守られるまで声を上げ続けて、それが届くまでやるしかない。

パニック状態になり阿鼻叫喚の図になるのではなく、しっかりとした声を上げ続ける。

それが、今の国民に出来ることだと思う。

 

 

 

 

『立ち上がった人たち』

 

最悪の事態に少しだけ希望の光が射した。

ここ数日で思ったのは、現金や食料、カタチある物以外で心を癒すのはやっぱりカルチャーだ。

カルチャーという言葉は文化という意味だけれど、なんとなくかっこいいからカルチャーを使っている笑

小池さんの横文字を使いたがるのもわからなくもない笑

さて、「文化」という言葉の意味を調べると下のように出てくる。

『人間の精神活動の成果』『人類の理想を実現して行く、精神の活動』

もちろん他にも意味合いがあり、『世の中が開けて生活水準が高まっている状態』

というのもある。

芸術に精通してない人からすると、後者の意味合いで捉えられることが多いと思う。

だから意味合いを区別するうえであえてカルチャーと使われていることが多いかなと思う。

 

人類が生み出したカルチャーは数え切れないほど存在している。

その中でも自分が一番惹かれたのが音楽であり、今は自分が信じる音楽を人に伝える行動をしている。

その行動は決してライブや音を奏でるだけじゃない。

こうしてブログを書いたり、撮影して映像を配信したり、写真を撮ったり。

上に書いた三つはどれももうすでにカルチャーになっている。

そして今回、最も効果を発揮したのが『SNS』というカルチャーだ。

大前提としてカルチャーは正義でも悪でもない。

けれど、歴史を振り返ると断絶されたカルチャーもある。

時代によっては悪だとか、犯罪の一部にもなっている。

国のトップがした使い方も今の状況から見たら『悪』に見えるだろう。

 

もとはと言えば一人のシンガーが家にいるときに、何か楽しいことができないかと行動した結果だ。

それが伝染していってたくさんの人たちが盛り上げた。

続くように何かできないかと他のもの誕生した。

ハッシュタグをつけてSTAY HOMEという言葉も生まれた。

小池都知事がHIKAKINとコラボして都民に呼び掛けた。

あれはものすごくうまいやり方だと思う。

都民だけじゃなく全国民に広まった。

そして自分の置かれている立場を考えて、都知事とコラボしようと思いつく。

かっこいいね。

インフルエンサーって言葉があるけど、初めて良い意味で捉えられた気がする。

他にもブライアンというYouTuberがラップでDisをかました。

HIPHOPのカルチャーであるビーフをうまく使って、名だたるラッパーがアンサーを返した。

今度は誰が返すんだろうってワクワクする。

 

いろんな行動が生まれて、嫌な日常から目を少しでも逸らすことができたのは本当にすごい。

なかでもやっぱり自分が最高だなと思ったのが、うたつなぎ。

これはもう、最高に良い。

もともとバトンリレーというのはmixiの時代からあったけれど、あんまり好きじゃなかった。

それはどーでもいい人のバトンで特に内容のないものだったりが多かった。

今回のうたつなぎで凄いと思ったのが、名だたる人たちがほぼ全員『アコースティックギター』を持っていたこと。

前に渋谷で見た、JESSEさんのアコースティックライブのときのブログでも書いたけれど、アコギは原点。

弦に触れれば音が鳴り、それに合わせて歌うこともノることもできる最高な楽器。

共通してみんなが持っていたことが最高に嬉しかった。

 

他にも今までのライブをYouTubeで配信したり、CDショップも営業自粛してCDが買えない中、サブスクリプションサービスを通じて新しい音楽に出会えることができる。

無観客ライブも緊急事態宣言が出る前まで、たくさんのアーティストが行った。

そこで生まれた投げ銭システムによるアーティストの収入源の確保。

いままでもあったけれど、そこまで発達していないものが急速に発達した。

この結果からわかることは、たとえライブハウスが無くなったとしても音楽が鳴り止むことはないということ。

居場所がなくなるかもしれない。

でも形ないものはもとから形が無いのだから絶えることもない。

2PACが言った「子どもに残せるのは文化と音楽だけだ」

まさにこれに尽きる。 

 

緊急事態宣言は一旦、5月6日まで続く。

その間に一体どれだけのものが新しく生み出されるか楽しみになっている。

 

 

 

 

『次のステージへ』

 

映画の中でよくあるのがいがみ合っていた同士が手を組み、共通の敵を倒す。

劇中で第二の敵、第三の敵、と現れるがそれらはもとはと言えば第一の敵に踊らされたものが多い。

今の状態は良くないかもしれないけれど、最大の敵は間違いなくウイルス。

生き延びることが何よりも大切。

そのためにできることはなんだろうって、今一度考える。

この物語が終わるころに、無くなっているものもあれば新しく生まれたものも出てくる。

それがいい結果になるか、悪い結果になるかは自分次第なんだよな。

 

やりたいことも行きたいとこもたくさんある人生。

どこまで叶えられるかなんて全くわからない。

もう叶えられない夢だってたくさんある。

それでも今、こんな状態でも信じられるものがあるから生きていける。

 

これが終われば、日本という国は大きく変わるかもしれない。

音楽の形も大きく変わると思う。

音楽だけじゃない、カルチャーというものがまた大きく変わる。

 

今の自分が存在していて、救われたのはまぎれもなく音楽なんだ。

誰もがそうかもしれないけれど、落ち込んだときや不安に陥ったとき、これから自分はどうしたらいいのだろうって思うときに聴き惚れる音楽と出会う。

その音楽は昔からあったものかもしれない。

何年も経って、ようやく今の自分に当てはめることができたり、懐に入ってきたりする。

 

自分がロックバンドのスタッフをやってるというのも不思議な感覚。

そしてそのバンドが一から作り上げた音楽が昨日公開された。

不思議なもんで、この記事を書いているときはこの曲がいつ公開されるかなんて決まっていなかった。

曲自体も昨年から、一から作り上げてきてるところを間近で見てきた。

新しく生まれた曲の歌詞が、スッと心に入ってくる。

今までは、前から生み出された曲に対して自分が入り込むような形だった。

でも今回はその逆で新しく生まれた曲が自分に入ってきた。

公開していない、まだ世に出ていない、バンドとスタッフの自分しか知らない曲。

 

今年のライブでガンガンやるだろうって思っていたのに。

けれど、この今の状態を支えるようにこの曲の歌詞がぴったり当てはまる。

このウイルスの騒動が始まる前から作られた曲。

まるで予見していたかのよう。

決して今回のために生み出したわけじゃない。

自分たちの信じるものを貫き通した結果が今。

しかも、曲名が『STAY』

STAY HOMEという言葉が生まれてしまって、うわっ被った!とか思ったんだけど、時代を先取りして進んでいるみたいだなって笑

 

どんな状況でも彼らの音楽は鳴りやまないことの証明。

 

「代えてはならないモノの為に変わる」

 


STANDZ - STAY【MV】

 

 

 

 

 

Thanks.

DAIKI

 

 

 

 

f:id:musicmoviedk:20200414214321p:plain

新しいMVの中でこのシーンがめっちゃ好き。

 

最後の方は完全にバンドの宣伝になってしまった笑

最近の生活の中で、メンタルがだいぶやられて、このままではいけないと思ってとりあえず思っていることを書き出そうとしてみた。

着地点が見えないまま書き出すと、これはどこへ向かっているんだろうと何回も自分の言葉を読み直すことになるんだけど、そのたびにあぁこうすればいいんだ、こう繋げればいいんだってわかる。

今できることを精一杯やっていこう。

 

 

 

Fxxk you COVID-19 !

 

4月9日のLIFE SIZEが中止になってしまいました。

個人的にめちゃくちゃ楽しみだった。

その日に出て頂けるバンドはどれもかっこいい人たちばかりで、間違いない日になることが確定してたと言っても過言じゃない。

楽しみにしてた人たちには本当に申し訳ないです。

そして、LIFE SIZEは去年の12月に元々開催される予定でした。

とある事情でイベントが流れて、やっと今回4月に決まりました。

それがまた流れる。

こんなことってあるのか…

 

自分たちの力じゃどうにもできないもの、『不可抗力』が世界に蔓延している。

それに戦えるのは一部の人たちのみ。

今、自分たちが培ってきたもの、人類が蓄えてきて知識をフルで活用しながらウイルスのワクチン開発に力を注ぎこんでいるだろう。

本当に感謝しかない。

自分が子どもの頃、夢見ていた職業が医療関係だっただけあって個人的にすごく悔しい気持ちでいっぱいです。

 

人それぞれの戦いがあります。

攻撃する戦いではなくて、守る戦い。

大半の人が今それを求められて実行している。

マスクを必要以上に買わない、や食料品の買い占めをしない、不要不急の外出自粛。

一般の人ができることは限られているけど、限られている範囲がわかっているのなら目一杯そこで守る戦いをしよう。

 

じゃあバンドって、音楽って今何ができるのか。

中指立てながらこの憎いウイルスに対する気持ちを音楽にする人もいれば、世間の人々の様子を見てそれを音楽にする人、普段と変わらないように自分の日常を音楽にする人。

それぞれあると思う。

共通しているのは、今も何かを「生み出している」ということ。

ライブというお客さんを直接自分たちの居場所に引き込んで心に音楽を届け、「感動」を生み出すことはできなくなってしまったけれど、今度は無観客ライブや生配信で「感動」を生み出した。

この行為によって、また新たに音楽は一歩進んだ気がする。

 

たくさんのバンドが声を上げて何かしらみんなを楽しませようとしている。

じゃあ生み出したものを受け取る側がどうするかって、たくさん消費すればいい。

消費って聞こえは悪いかもしれないけど…

受け止める?がいいのかな。

たくさん受け止めることができればいいな。

そして知らないバンドとかにも出会ったり、今まで好きなバンドをさらに好きになったり。

心の器が広がって、物事のいろんな考え方や見方ができればいいな。

なんでもかんでも受け止めすぎてキャパオーバーになったりもするからそこだけは気を付ける笑

 

 

まあ何が言いたいかって、STANDZの新MV出たよってこと笑


STANDZ - ROOTS 【MV】

 

 

 

自分もずっと「受け止める側」だった

バンドのスタッフになってライブ写真や動画を撮ってはいたけど、いまいち実感とかなかった。

生み出すということに。

今回公開したMVは撮影も編集も自分でやってみた。

編集はもちろん一人じゃなくてみんなであーだこーだ言いながら作り上げた。

なんかやっと、「生み出す側」になった感じ。

 

生み出したものを愛でてほしい、というのは本能なのかな。

しっかり届けたい。

でも、受け取る側が解釈や生み出した側が思い描いていたものと違う愛で方をすると、どうなるだろう。

良い例なのかはわからないけど、カートコバーンなんかそうじゃないかな。

Smellsが爆売れしたけど、本人は気に食わなくて次のアルバムでファンを叩き落したのはすごい笑

自分の頭を銃でぶっ放す人生の終わり方は尊敬できないけれど…

 

ただ受け取る側はどう受け取るかも自由。

生み出す側の自由と受け取る側の自由がぶつかったとき、吉と出るか凶と出るかの運試し。

ポップスとか世に出てる必ず売れるように作られた音楽たちは、受け取る側の自由に寄り添った形だと思う。

それは決して悪いことじゃないよね。

まあ音楽談義は今はいいとして、

 

ライブハウスでライブをするということは、自由のぶつかりが目に見える場所。

目に見えるからこそ楽しいんだ。

肌で直接感じれるからこそ楽しいんだ。

今の現状じゃライブハウスでライブをするのが危うい。

いつかまたぶつかり合える日を夢見て、今は耐えて守る戦いを。

その日まで必ず生き抜く。

 

STANDZもまだまだ控えているものがいっぱいある。

明日がどうなるかの不安は拭えないけれど、STANDZがこれから生み出していくものへのワクワク感も日に日に大きくなっている。

ライブできるようになったらぜひ楽しみにしててほしい。

 

 

 

 

 

Thanks.

DAIKI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頑張ろうって言葉があんまり好きじゃない。

こっちはこんなに頑張ってんのに、まだそれを言うのか!って思う時がある。

ひねくれてるとかそう思う人もいるだろうけど、余裕がないときは本当に余裕がない。

言葉って難しいよね。

頑張ろうは人に言うより、自分が自分に言ってあげてほしい。

音楽はきっとそれを支えることできると信じてる。