音のある場所

今日もお疲れちゃん

Go to the next Stage!

 

 

今の状態が映画の中のストーリーだとして、劇中のどれくらいの部分まで進んだのだろうか?

起承転結で物事は収まっている。

起:コロナウイルスが世に広まる。

承:各国で対応開始、このお話がどういう結果になるかはまだ想像できない。

転:ワクチンの開発成功、全世界に希望が見え始める(理想)

結:物語の終結、ハッピーエンドかバッドエンドかはまだわからない。

 

映画を見ているとき、起承転結の「起」の部分で今見ているお話の「結」を意識する人はあんまりいないと思う。

「承」の部分に入って初めてこのお話の終わりを想像する。

バッドエンドなのかハッピーエンドなのかハラハラする。

現実の今は「承」の部分が始まり、この状態の終わりを想像しているけれど「転」の部分が始まっていないから予想しようにもなかなか希望が湧かない。

120分の映画だとして、今はまだ45分経ったか経たないかぐらいかな。

 

なっげえ笑

しんどいよね。

めちゃくちゃしんどい。

物事に必ず終わりが来るんだけど、今を生きている人たちにとっては肌でその時間を感じる。

途方もなく長く感じる。

ただ、もう少しすれば「転」の部分に入り希望が湧くと思っている。

そこで浮かれすぎないように。

 

45分映画見てこのつまんねー映画いいやってドロップアウトする人はそんなにいないと思ってる。

なんだかんだ最後まで見ちゃう。

最初の30分は切り捨ててしまうかもしれない。

現状、それは自粛の要請に近いのかな。

3月の3連休がまさにそうだと思う。

コロナ大丈夫でしょ、と外出してしまい一旦目を逸らした。

現実なんだからここで物語を切ることができずに無情にも進んでいく。

 

「結」の部分は今は想像できない、けれどなかなか面白そうなことにはなっていると思う。

バッドエンドと見せかけて作中の主人公たちにとってはハッピーエンド。

その逆もまたしかり。

俺たちは生き残ったけど、失ったものが多かった。

それはハッピーエンド?バッドエンド?

「結」の部分は人それぞれで導き出す答えが変わってくる。

だから映画を見てレビューや考察で意見が分かれて論争が巻き起こる。

 

昨年公開された「天気の子」

「君の名は」が大ヒットして見に行く人も多かっただろう。

普段ただ楽しいハッピーエンドしか見ない人たちにとっては裏切った作品だと思っている笑

極端な話だけど、国が崩壊するとこはあるかもしれない。

でも生き残ったら勝ち。

大切な人がそばにいてくれたら世界がどうなろうが大丈夫。

これは現実に通用するのか。

どうなんだろうな〜

 

確かなことは、生きてさえいればやり直せることの方が多い。

 

 

 

 

『たくさん笑わせてくれた人』

 

3月の終わり。

物語の1番の敵であるウイルスの魔の手にかかり、日本にとって偉大な人が亡くなった。

まさかと思ったよね。

みんながみんな助かると思っていた。

志村けんが死ぬ世界なんてあるのか、と。

そりゃ人間だからいつかは最後の時が来る。

でも、確実に今じゃない、今であっていいはずがない。

肉眼では見えない敵に憎しみが生まれる人がたくさんいたと思う。

そんな中で放送された追悼番組。

声を上げて笑った。

憎しみがふっと消えるくらい笑った。

 

この壮大な物語のなかで「起」から「承」に移るきっかけは間違いなく、志村けんだった。

生きていたら本当に映画の主演を演じるはずだったのに。

見たかったなぁ。

 

3月30日のお昼。

目が覚めて、スマホを見る。

通知欄にドコモからのニュースが届いている。

その見出しには「志村けん死去」

寝ぼけていた頭が一瞬で覚める。

タップして通知を開くと、コロナウイルスに殺されていた。

その日のSNSはもう荒れてたよね。

夜勤の仕事行くのもだるくなってしまって、ため息をずっとつきながら仕事をした。

次の日の31日の深夜に放送された「志村でナイト」ではテロップを始めに流して、ほぼ通常通りの放送がされた。

志村けんと千鳥大吾の掛け合いに笑いながら見た。

そして4月1日、ドリフの3人をはじめとする追悼番組が放送。

夜勤だったから録画して次の日に見たけど、めちゃくちゃ笑った。

腹抱えて笑ったよ。

まず、番組が始まってすぐに笑った。

不謹慎かもしれないけど、スタジオのセットがもう、コントに見える。

BGMではG線上のアリアが流れていたけど、全然似合わなくてそれすらもコントかと思わせる。

ドリフの頃からのコントが延々と放送された。

最初の方はいかりや長介も出ていて、ある意味いかりやさんの追悼も兼ねているようだった。

元気に動くいかりやさんを見ながら、今はいかりやさんがいないことを受け入れることができている。

受け入れられているというのかな。

時間が経っているからかもしれない。

志村けんさんもいつか受け入れられる日が来るのかな。

 

番組の終わりにみんなが褒め称える。

なんか戦友って感じがしてそれがカッコ良くもあった。

弔辞で笑かしにくるところとかさすがだと思った。

画面が引いてスタジオが全部映ったときに、背後の1番大きい写真を破って志村けんが「バカヤロウ」って飛び出してくると思った。

なんでかって、この番組が放送されたのは4月1日。

エイプリルフールだぜ。

あまり好きじゃないエイプリルフールがさらに嫌いになった。

エンドロールではクラシック音楽が流れて数々の写真がスライドショーのように流れる。

それがまた可笑しい写真ばかりで、最後まで笑ってしまった。

こんなにも音楽と映像がリンクしてないことなんてそうそうない。

それはまだ死んでないと思っているから、受け入れられてないと思うから。

それでも一年後にあの追悼番組をまた見たとしても、笑うと思う。

それってすごいことだよね。

 

それからここ数日はYouTubeでたくさん志村けんのコントを見た。

なんでこんなに好きなんだろうなとか思っていたんだけど、納得のいくものがいくつかあった。

こんな状態だけど仕事はあって職場には行かなくてはいけない。

けれど、仕事内容があるかといったら暇だ。

毎日ネット徘徊をして相当数の記事を読んでる。

まともなことが書いてある記事もあれば、フェイクニュースを堂々掲示してるとこもある。

そんな中で志村けんに関する記事もたくさんあった。

  

【追悼】24年前、突如広まった“志村けん死亡説”とは何だったのか #志村けん #ラリー遠田 https://bunshun.jp/articles/-/36979

 

この記事に書かれている、「誰もが志村世代」 「志村離れを経て、人は大人になる」

なるほど、確かにそうかもしれない。

子どものころ鍵っ子で外で遊ぶよりもテレビをずっと見ていたからドリフとかよく見てた。

ケーブルテレビを契約してたからアニメもドリフも映画も見放題。

自分を形成してるのはテレビだと間違いなく言える。

でもいつからから時間が合わなくなったりして全然テレビを見ることがなくなった。

高校卒業してフリーターで働いて終電で帰ってきたときに、今日も疲れたなってコンビニ飯を広げてとりあえずテレビをつけると「志村の時間」が放送されていた。

再びリアルタイムで志村けんのコントを見たときにめちゃくちゃ元気をもらったことを今でも覚えている。

おじいちゃんになったけどいつまでも面白いことやってるよなって。

自分もお酒を飲める歳になり、一緒にいつか飲んでみたいと思っていた。

また一つ、叶わない夢ができてしまったことが非常に残念だ。

 

なんで志村けんを見て安心するんだろう。

YouTubeで漁りながら分かったこと。

「声」だ。

まさに、おじいちゃんなんだよね。

自分に生まれた時からおじいちゃんがいなかったからかもしれないけど。

おじいちゃんみたいな存在。

その声を聞くと安心するというか。

 

スピッツの曲「楓」で君の声を抱いて歩いていく。この歌詞で声を抱いて歩くってなんのこっちゃと思っていたんだけど。

人が人を忘れるのはまず「声」から忘れていくらしい。

だから「君の声を抱いて歩いていく」という歌詞を改めて聴いた時、すげえと思った。

間違いなく忘れることのない声。

小さい時から聴いてる声はあんまり忘れないんじゃないかな。

だからおじいちゃんみたいな存在だったんだと今更になって気づいた。

 

もっとも死が似合わない人が逝ってしまった。

最後の最後まで笑いを生み出していた。

新しいものを生み出さないということは、いけないことではない。

けれど、それはつまらないと思う。

生み出すことはとても大変なことだけど。

生涯を通して、ここまで多くの笑いを生み出して、尚且つこの世から去ってもまた生み出してる。

死んでしまった人を笑っていいはずが無いのにみんな追悼番組を見て、笑いながら泣いた。

これは凄すぎることだよ。

本当にすごい。

 

たくさんの人がSNSで自分の思い出と志村けんを照らし合わせていた。

自分語りするなとかコロナの抑止に使うなとかいろんな意見も飛んだ。

そんなくだらないこと言ってる人たちよりも、生み出されたお笑いコントを見て、笑って泣いてる方が俺はいいと思う。

あれから数日経ってしまったけど、自分が思っていることも書こうと思っていた。

志村けんのことについて書いてある記事をたくさん読んで、おじさん世代の人たちの熱い気持ちも伝わった。

それに感化されたのもあるけど、今一度、自分が文章を書けるならこの気持ちをしっかり書いておこうと思った。

ここに記せて良かった。

志村けんさん、ありがとうございました。

心より、 ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 『緊急事態宣言発令』

 

4月7日に「緊急事態宣言」が発令された。

中学生の頃の自分ならまるでエヴァンゲリオンみたいだー!やべえ!って思っているだろう。

それが今や無関心になっている人も多いかもしれない。

これがどういうものなのかしっかり知れば、そんなに慌てることはない。

法的拘束力を持たないのが救いなのか、災いなのか。

今までの国民の総意が今の状況を選んだんだ!って声を上げている人がいるけど、それを今言ってどうする。

難しい漢字や聞き慣れない言葉、横文字。

日々情報が飛び交いごちゃごちゃしてる。

だから一つずつ消化していく。

テレワークとリモートワークの違いはなに?とか笑

違いはないらしいよ、何それって感じ。

3密とかの言葉も小池さんが発信して、詰め寄る記者たちに「密です!密です!」と追い払っている場面も放送された。

ちょっと笑ってしまったけど、そういう使い方をすれば意味は伝わる。

わからないことがあればとことん調べよう。

こんなときに大切なのは、正しい情報の取捨選択。

信じられるメディアは一体どれなのか。

先日NHKで放送していたものは実に面白かった。

http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20200405_2

 


[NHKスペシャル] 渡辺直美さんがネットとの付き合い方を語る | デジタルVSリアル | NHK

 

デジタル VS リアル 

第1回は、氾濫するウソの情報=「フェイク」との闘い。「事実」よりはるかに“拡散力”を持つと言われる「フェイク」が世界中で混乱を巻き起こしている。メキシコでは「フェイク」によって誘拐犯とされてしまった無実の若者が、群衆に殺害されるという痛ましい事件が発生した。
さらに、AIを使った最新の映像技術「ディープフェイク」によって、身に覚えのないポルノが作られる「フェイクポルノ」の被害が、日本をはじめ世界中で報告されている。
そして「フェイク」は“民主主義”の根幹「選挙」の場でまん延。私たちは知らず知らずのうちに、世論操作を受けている可能性も指摘されている。世論誘導ビジネスの最前線メキシコの潜入取材もまじえ、「フェイク」との攻防にカメラが密着。何が事実で何が嘘か分からない情報が氾濫し、信じたい情報が信じられ“真実”が揺らぐ時代、私たちに何ができるのか?

 

ディープフェイクという言葉を初めて知ったし、それが選挙にまで手が伸びている。

これから毎週日曜日に放送される予定だ。

おもしろかったので興味ある人はぜひ。

 

「緊急事態宣言」が発令されて、起承転結の「承」に突入した。

物語のなかで出てくる敵は1つとは限らない。

第二の敵、第三の敵が現れる。

それがいわゆるフェイクニュースだったり、コロナウイルスと闘う現場の最前線に立っている人たちに対する誹謗中傷、給付金申請する役所の窓口に難癖つける人たち。

ついにはこないだ、コロナウイルスによる収入減で夫婦喧嘩になり、旦那さんが奥さんを殺してしまった事件。

そのニュースを見たときに、始まってしまったと思った。

恐怖の連鎖とも言うべき、行い。

みんなコロナウイルスに攻撃されているのに、なぜか人同士で傷つけあう。

どんな映画でも似たようなシーンはあるだろう。

まだ見てないけれど、Netflixアマゾンプライムなどで配信されている「コンテイジョン」というウイルス感染を題材にした映画が再評価されている。

 不安を煽ることになるかもしれないが、見れる人は見といた方がいいのかもしれない。

知っているのと知らないのでは天と地の差がある。

今一度、自分たちに何ができるのかを知ることができるかもしれない。

 

日に日に敵はどんどん増えていく。

精神が追い詰められれば、自分自身でさえ敵になりうる。

 

自分が働いているところも売り上げが8割減になり、経営が圧迫している。

いっそのこと休業してしまえばいいのに、なぜか働かせる。

休業補償を会社で出したくないだとかいろんな思惑があるのだろう。

お金がある人たちはこの自粛生活でも難なく過ごすことはできるかもしれない。

アメリカでは低所得者ほどコロナに感染する割合が大きいと統計が取れた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/inosehijiri/20200403-00171163/

 

命を守るために家にこもらねばいけない時期に、明日の飯が食えないから命のリスクを冒して外に出る。

これは矛盾していないか?

まるで餓死をするか病死をするかどちらかを選べと言っているようなものだ。

だから国が生き残りの道を国民に作らなきゃいけない。

それなのに国のトップがSNSを使って優雅にくつろぐ姿を投稿。

もちろん、その動画の趣旨は家にいてくださいという自粛を促すものだとみんな分かっている。

けれど、国のトップとしての見せ方が他にもあったはず。

日々の生活に辟易しているなかでアレは頭に来る人も多いだろう。

それなのにSNSだけで炎上して現実に暴動が起きない日本という国の凄さを改めて感じる。

 

精神が不安定になれば正常な判断は難しい。

自分たちと同じように国のトップたちも精神的に追い詰められて正常な判断ができなかったんだと思いたい。

ただ一つ許せないのは、音楽の居場所であるライブハウスという場所を名指しで感染の要因とあげ、挙句の果てには閉店にまで追い込まれた。

先人たちが培ってきたカルチャーを未来につなぐため、生業にして仕事をしてきた人たちの収入がゼロになった。

これから先、音楽ができなくなるかもしれない。

そんななかで補償もまともにできず、頭を深くも下げられない人が、容易にその音楽に乗っかった。

これは冒涜以外のナニモノでもないよね。

冷静に今を捉えようと踏ん張っているなかで、さすがにアレは動揺してしまった。

カルチャーの力を信じるのは自由だが、カルチャーというコンテンツを正当化するための道具として使わないでほしい。

 

この国は『感染症対策』をしたいのではなく、『経済対策』をしたいみたいだ。

いや、この二つをイコールで結ぼうとしている。

それは到底無理な話だと思う。

まさしく今、映画の中で最大の絶望を味わう時間なんだと痛感する。

 今は政権批判をしている場合ではないのに。

ただ助けてほしいだけなのに。

だから、助けてほしいという声を上げ続けることだけはやめちゃだめだ。

声が途絶えたら忘れ去られてしまう。

それこそ冒頭に書いた、「人は声から忘れていく」

自分たちの安全が守られるまで声を上げ続けて、それが届くまでやるしかない。

パニック状態になり阿鼻叫喚の図になるのではなく、しっかりとした声を上げ続ける。

それが、今の国民に出来ることだと思う。

 

 

 

 

『立ち上がった人たち』

 

最悪の事態に少しだけ希望の光が射した。

ここ数日で思ったのは、現金や食料、カタチある物以外で心を癒すのはやっぱりカルチャーだ。

カルチャーという言葉は文化という意味だけれど、なんとなくかっこいいからカルチャーを使っている笑

小池さんの横文字を使いたがるのもわからなくもない笑

さて、「文化」という言葉の意味を調べると下のように出てくる。

『人間の精神活動の成果』『人類の理想を実現して行く、精神の活動』

もちろん他にも意味合いがあり、『世の中が開けて生活水準が高まっている状態』

というのもある。

芸術に精通してない人からすると、後者の意味合いで捉えられることが多いと思う。

だから意味合いを区別するうえであえてカルチャーと使われていることが多いかなと思う。

 

人類が生み出したカルチャーは数え切れないほど存在している。

その中でも自分が一番惹かれたのが音楽であり、今は自分が信じる音楽を人に伝える行動をしている。

その行動は決してライブや音を奏でるだけじゃない。

こうしてブログを書いたり、撮影して映像を配信したり、写真を撮ったり。

上に書いた三つはどれももうすでにカルチャーになっている。

そして今回、最も効果を発揮したのが『SNS』というカルチャーだ。

大前提としてカルチャーは正義でも悪でもない。

けれど、歴史を振り返ると断絶されたカルチャーもある。

時代によっては悪だとか、犯罪の一部にもなっている。

国のトップがした使い方も今の状況から見たら『悪』に見えるだろう。

 

もとはと言えば一人のシンガーが家にいるときに、何か楽しいことができないかと行動した結果だ。

それが伝染していってたくさんの人たちが盛り上げた。

続くように何かできないかと他のもの誕生した。

ハッシュタグをつけてSTAY HOMEという言葉も生まれた。

小池都知事がHIKAKINとコラボして都民に呼び掛けた。

あれはものすごくうまいやり方だと思う。

都民だけじゃなく全国民に広まった。

そして自分の置かれている立場を考えて、都知事とコラボしようと思いつく。

かっこいいね。

インフルエンサーって言葉があるけど、初めて良い意味で捉えられた気がする。

他にもブライアンというYouTuberがラップでDisをかました。

HIPHOPのカルチャーであるビーフをうまく使って、名だたるラッパーがアンサーを返した。

今度は誰が返すんだろうってワクワクする。

 

いろんな行動が生まれて、嫌な日常から目を少しでも逸らすことができたのは本当にすごい。

なかでもやっぱり自分が最高だなと思ったのが、うたつなぎ。

これはもう、最高に良い。

もともとバトンリレーというのはmixiの時代からあったけれど、あんまり好きじゃなかった。

それはどーでもいい人のバトンで特に内容のないものだったりが多かった。

今回のうたつなぎで凄いと思ったのが、名だたる人たちがほぼ全員『アコースティックギター』を持っていたこと。

前に渋谷で見た、JESSEさんのアコースティックライブのときのブログでも書いたけれど、アコギは原点。

弦に触れれば音が鳴り、それに合わせて歌うこともノることもできる最高な楽器。

共通してみんなが持っていたことが最高に嬉しかった。

 

他にも今までのライブをYouTubeで配信したり、CDショップも営業自粛してCDが買えない中、サブスクリプションサービスを通じて新しい音楽に出会えることができる。

無観客ライブも緊急事態宣言が出る前まで、たくさんのアーティストが行った。

そこで生まれた投げ銭システムによるアーティストの収入源の確保。

いままでもあったけれど、そこまで発達していないものが急速に発達した。

この結果からわかることは、たとえライブハウスが無くなったとしても音楽が鳴り止むことはないということ。

居場所がなくなるかもしれない。

でも形ないものはもとから形が無いのだから絶えることもない。

2PACが言った「子どもに残せるのは文化と音楽だけだ」

まさにこれに尽きる。 

 

緊急事態宣言は一旦、5月6日まで続く。

その間に一体どれだけのものが新しく生み出されるか楽しみになっている。

 

 

 

 

『次のステージへ』

 

映画の中でよくあるのがいがみ合っていた同士が手を組み、共通の敵を倒す。

劇中で第二の敵、第三の敵、と現れるがそれらはもとはと言えば第一の敵に踊らされたものが多い。

今の状態は良くないかもしれないけれど、最大の敵は間違いなくウイルス。

生き延びることが何よりも大切。

そのためにできることはなんだろうって、今一度考える。

この物語が終わるころに、無くなっているものもあれば新しく生まれたものも出てくる。

それがいい結果になるか、悪い結果になるかは自分次第なんだよな。

 

やりたいことも行きたいとこもたくさんある人生。

どこまで叶えられるかなんて全くわからない。

もう叶えられない夢だってたくさんある。

それでも今、こんな状態でも信じられるものがあるから生きていける。

 

これが終われば、日本という国は大きく変わるかもしれない。

音楽の形も大きく変わると思う。

音楽だけじゃない、カルチャーというものがまた大きく変わる。

 

今の自分が存在していて、救われたのはまぎれもなく音楽なんだ。

誰もがそうかもしれないけれど、落ち込んだときや不安に陥ったとき、これから自分はどうしたらいいのだろうって思うときに聴き惚れる音楽と出会う。

その音楽は昔からあったものかもしれない。

何年も経って、ようやく今の自分に当てはめることができたり、懐に入ってきたりする。

 

自分がロックバンドのスタッフをやってるというのも不思議な感覚。

そしてそのバンドが一から作り上げた音楽が昨日公開された。

不思議なもんで、この記事を書いているときはこの曲がいつ公開されるかなんて決まっていなかった。

曲自体も昨年から、一から作り上げてきてるところを間近で見てきた。

新しく生まれた曲の歌詞が、スッと心に入ってくる。

今までは、前から生み出された曲に対して自分が入り込むような形だった。

でも今回はその逆で新しく生まれた曲が自分に入ってきた。

公開していない、まだ世に出ていない、バンドとスタッフの自分しか知らない曲。

 

今年のライブでガンガンやるだろうって思っていたのに。

けれど、この今の状態を支えるようにこの曲の歌詞がぴったり当てはまる。

このウイルスの騒動が始まる前から作られた曲。

まるで予見していたかのよう。

決して今回のために生み出したわけじゃない。

自分たちの信じるものを貫き通した結果が今。

しかも、曲名が『STAY』

STAY HOMEという言葉が生まれてしまって、うわっ被った!とか思ったんだけど、時代を先取りして進んでいるみたいだなって笑

 

どんな状況でも彼らの音楽は鳴りやまないことの証明。

 

「代えてはならないモノの為に変わる」

 


STANDZ - STAY【MV】

 

 

 

 

 

Thanks.

DAIKI

 

 

 

 

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新しいMVの中でこのシーンがめっちゃ好き。

 

最後の方は完全にバンドの宣伝になってしまった笑

最近の生活の中で、メンタルがだいぶやられて、このままではいけないと思ってとりあえず思っていることを書き出そうとしてみた。

着地点が見えないまま書き出すと、これはどこへ向かっているんだろうと何回も自分の言葉を読み直すことになるんだけど、そのたびにあぁこうすればいいんだ、こう繋げればいいんだってわかる。

今できることを精一杯やっていこう。